「同労者」第56号(2004年6月)        聖書の植物に進む     目次に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
4.霊魂に対するイエス.キリストの愛
(1)人の子イエスは失われた者を尋ねて救うためにこの世に来られた。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)
 これが主イエスの地上におけるご使命の一大目的でした。栄誉を受けることを望むのでもな
く、富を計算するためでもなく、更にまたこの世の王国を建設するためでもありませんでした。
実に彼は、この世が包蔵している全部の富よりも更に大きい栄光を背後に遺して、失われた
者を救うためにこの世に来られたのです。ですから彼の目の前には唯一人の魂が、この世の
すべての富よりも、栄光よりも、一層貴重なものであり、一層価値のあるものでした。唯一人の
魂が無限に貴い価値を持っていたのです。すべての物質的宇宙さえも彼の目には唯一人の魂
ほどの価値が無かったのです。彼にとっては各人の魂一つ一つが、そうした無限の価値を持
っていました。哲学者や聖者の魂が貴いというばかりでなく、野蛮人の魂も放蕩者の魂も、同
様に価値のあるものでした。
(2)イエス・キリストは滅び行く魂を救おうとして、常に好機会を捕らえることに注意された。
「そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておら
れた。時は六時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは『わたしに水
を飲ませてください。』と言われた。・・・イエスは答えて言われた。『もしあなたが神の賜物を知
り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうで
その人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。』」(ヨハネ4:
6、710)
 この点については、以下の聖句をご覧下さい。「イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、
彼を見つけ出して言われた。『あなたは人の子を信じますか。』その人は答えた。『主よ。その
方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。』」(ヨハネ9:35)他に(マルコ2:4、
5)、ストーカー教授はその著「キリスト伝」に、「彼は奇蹟をもって魂に近づく踏み石とされた」と
書いています。私たちもすべての人々を導くために、あらゆる親切な行為を怠ってはなりませ
ん。
(3)イエス・キリストは失われた魂を尋ねて歩かれた。
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九
十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけた
ら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなっ
た羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。」(ルカ15:4〜5)
 彼は失われた羊を探して歩くうちに、羊がその行く手に現われといったような好機会を待ち望
まれただけでなく、自ら進んでそうした機会を求められました。そして彼は失われた羊か帰って
くるときには直ちにそれを受け入れなさっただけでなく、彼らを追い求められたのでした。魂に
対するキリストの真の愛は、失われたものを常に尋ね求めて、出て行かれたことによって明ら
かです。
(4)イエス・キリストは失われた魂を尋ねだして救うことを喜びとし満足とされた。
「しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしには、あなたがたの知らない食物があります。』そ
こで、弟子たちは互いに言った。『だれか食べる物を持って来たのだろうか。』イエスは彼らに
言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたし
の食物です。・・』」(ヨハネ4:32〜34)
 彼は失われた魂を尋ねて救いだすために、飢えも渇きも疲労も忘れられました。いや、そう
することによって、彼は大きな喜びを見いだし、自らの身体に対する元気の恢復をさえ覚えら
れました。「イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇
もなかった。イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。『気が狂ったの
だ。』と言う人たちがいたからである。」(マルコ3:20〜21)とあるように、イエスは、ご自身のみ業を
遂行されるためには身を忘れ、肉体上の日常の必要物さえも顧みられない程でした。そのた
めにイエスの知人たちは、「イエスを・・・気が狂った」とさえ言ったのです。(以下次号)

<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


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