「同労者」第56号(2004年6月)            論説に進む     目次に戻る

巻頭言
     − 私 の 家 庭−      
仙台聖泉キリスト教会  茂永 進


「・・・私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:15)
 
 信仰の継承と隣人を愛することに取り組み続けることが、私の教会でずっと変わらずに牧師
のメッセージの中心として語られています。私にとって、神様から与えていただいた家庭を本当
にこのメッセージに生きるものとして導いて行けるかが大きな課題です。
 昨年の12月に私の仕事の環境が大きく変わり、非常に多忙な日々を送るようになりました。
家に帰る時間も遅い日が多く、あまり妻や娘と接する時間を無くしていきました。
娘をお風呂に入れるのが私の日課でしたが、妻に任せるようになってしまい、しばらくぶりに一
緒に入ろうとしたところ、ものすごい大きな声で泣かれ拒否されました。私は娘の尻をたたいて
叱りましたが、あとになって非常に自己嫌悪に陥りました。私が手を抜いて娘に接したゆえの
娘の回答だったのだと気づかされたからです。妻にも妻の投げかけたことに対して、受け止め
てじっくりと話し合うことも出来なくなっていきました。どこまでも家庭のことが後回しになりまし
た。 私はよく父が生きていた頃、父の家庭に対する姿勢の甘さを批判したものです。私が家
庭をもったならば父のような姿勢は絶対にとらないと自負していたからです。しかし、いざ自分
で家庭を持ち一家の長として歩みを続けて行こうとする時、父のことを責めていた自分がどれ
ほど高慢な者であったかを知らされました。私は、真剣にこの神様から与えていただいた家庭
をヨシュアのごとく主に仕えるものにしていかなければならないと強く神様に示されていると信じ
ます。そのためには、もう一度神様に対して謙遜になり、妻と心を合わせて家庭建設のために
祈り続けていきます。家庭を守り愛し続けることが神様を愛することの証しとなるために。


                                 







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