「同労者」第57号(2004年7月)           論説へ進む   目次に戻る  トップに戻る

巻頭言
− 仕事について思うこと − 
仙台聖泉キリスト教会  玉城 憲一

「また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命
じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、
苦しんで食を得なければならない。」(創世記3:17)
 
 人間はアダムが罪を犯したとき、「すべての人が罪に定められ」、一生苦しんで食を得なけれ
ばならず、その罪を負い続けて行かなければならなくなりました。もしアダムが罪を犯さなかっ
たならば、そのような苦しい思いをしなくてもよかったと思われます。それが人間の原罪であ
り、負わなければならないものです。
 しかし、私たちはイエス・キリストを信じる者と変えていただき、「新たにさせていただいた者」
です。キリスト・イエスにある者は罪に定められることがない、そのような約束を与えられ、苦し
みから解放されます。救われることの幸いを覚えさせられます。
 長い不況のために、若い人たちにも、中高年の人にも、その他殊に弱い人たちに、仕事につ
くことができない人が多くなっています。会社の方も雇われる方も、厳しい現実があります。少
し難しくなってくると、すぐ切れてしまう。忍耐することができません。会社の方も利益のみを追
求し、そこに人間性、人を生かす、ということを考えません。利益を追求することは当然であり
ますが、そこで人は生きてゆくことができません。仕事につくことができない人が多くなっていま
す。しかし、仕事につかなければ人は生きてゆけません。
「仕事は、教育的であり、その人を高めるものである。」とも言われておりますが、最近の世相
を反映して、仕事の問題が社会問題にもなっています。
私たちの教会では、若い人たちが元気に"教会の仕事"といえる活動をしています。伝道コン
サート、野球、教会堂の掃除、その他を通して、その場が訓練の場所として牧師先生、先輩の
兄弟姉妹の指導のもとに用いられていることを感謝いたします。
 人を生かす場所であり、楽しくまたその人自身をために指導していただく場所でもあります。
若い人たちだけでなく、各年代層に渡って喜んで生きて行ける所であります。人が変えられると
ころであり、罪の支配から解放される場所であり、そこに救いがあり、その中から弾き出されよ
うとする人を救出する場である事を感謝いたします。

「もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらの
こと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのち
にあって支配するのです。」(ローマ5:17)


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