「『わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしし
た。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。』御霊も花嫁も言う。『来てくださ い。』これを聞く者は、『来てください。』と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい 者は、それをただで受けなさい。私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。 もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。ま た、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのち の木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。これらのことをあかしする方がこう言 われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵み がすべての者とともにあるように。アーメン。」(黙示22:16〜21)
はじめに
私たちはこの聖書研究会において、これまでに以下の主題を取り扱ってきました。
・ウェスレーの神学(3回)
・聖泉教会の神学
・キリスト教神観
・神と世界
・我らの救い主なるキリスト
・聖霊について *
・悪魔について *
・人間について *
・人間の窮状(罪について)
・救いに関する聖書の教え *
・聖化について
(本誌「同労者」には、*をつけた「聖霊について」「悪魔について」「人間について」「救いに関
する聖書の教え」をこれまでに掲載しました。)
終わりの4回において、人間の現在における救いを扱ったと言えますが、今回の主題は人間
の未来における救いです。
聖書は、これから起こることについても、数多く言及しています。
過去における聖書のことばは文字通り実現しました。
イエス・キリストは、
文字通り処女から生まれ、(マタイ1:18〜、イザヤ7:14)
文字通りユダヤのベツレヘムで生まれ、(マタイ2:1〜、ミカ5:2)
エジプトから呼びだされ、(マタイ2:15、ホセア11:1)
彼の上に主の霊がとどまりました。(ヨハネ1:32、イザヤ11:2)
彼は文字通りロバの子に乗ってエルサレムに来られ、(マタイ21:7〜、ゼカリヤ9:9、イザヤ62:11)
苦しみを受けられました。(マタイ27:35〜、イザヤ53:5)
彼の骨は折られず、(ヨハネ19:33、出エジプト12:46)
富める人の墓に葬られましたが、(マタイ27:57〜60、イザヤ53:9)
文字通り墓に朽ちることはありませんでした。(マタイ28:5〜7、使徒2:27、詩編16:10)
同様に未来に関する予言も、文字通り起きるでしょう。
初臨のキリストは、私たちを救うためにおいでになりました。「人の子が来たのが、・・多くの
人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためである・・。」 (マタイ20:28)、(ルカ19: 10)
彼を信じる者は罪を許されて、(ヨハネ3:17、ルカ24:47、コロサイ1:14)
神の子供とされ、(ヨハネ1:12、ヨハネT3:2)
光の中を歩み、(ヨハネ8:12、ヨハネT1:7)
潔められてキリストの花嫁にふさわしくされ、 (ヨハネT1:7、エペソ5:26〜27)
永遠のいのちを与えられ、 (ヨハネ3:16、ローマ5:21)
天国に入る備えを与えられます。(テサロニケT5:23)
彼は聖霊によるバプテスマを施し、(ヨハネ1:33、使徒2:33)
信じる者の心にキリストの霊(聖霊)を住まわせられます。
(ローマ8:9、コリントT3:16、コリントU1:22)
この私たちの内におられるキリストの霊こそが福音の(救いの)奥義です。
(ヨハネ6:63、コロサイ1:27、コリントT6:19)
聖霊は私たちの弱さを思いやり、 (ローマ8:26)
助け主として私たちと共にいることをよしとされます。 (ヨハネ14:16)
御霊のおられるところに自由があります。 (コリントU3:17)
私たちは御霊によって、主イエス・キリストと同じ栄光へと進むのです。 (コリントU3:18)
私たちの名は、いのちの書に記されています。 (ルカ10:20、詩編69:28、イザヤ4:3、ピリピ4:3、黙
示20:12、15、21:27)
信じない者は、これらすべてのよいものを失うのです。 (マタイ16:26、ヨハネ3:18〜21、ヨハネ10:1、
7、9、エペソ4:18〜19、5:3〜6、 コリントT2:14、ヨハネ14:17)
キリストは世におられる間に、再び来られることを約束しました。「あなたがたに言っておきま
すが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたが たは見ることになります。」(マタイ26:64)
(以下次号)
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