「同労者」第57号(2004年7月)        聖書研究に進む   目次に戻る  トップに戻る

わかふうふわかもん

「 母 の 愛 」
                 仙台教会 山田 行
 
「母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰めら
れる。」(イザヤ66:13)


 私の友人でイギリス人と結婚した人がいます。
その友は、いつも日本に帰ってくるたび私たちに言います。「スキンシップは大切よ。子供達を
抱きしめている?」と。
その言葉を言われるたびに、思い出すことは母に私が子供のとき「お腹痛い」といえばお腹
を、さすってくれたり、「頭が痛い」といえば肩をさすってくれたりその時の嬉しかったこと、安心
した気持ち、
母のぬくもりや温かさなのです。その時はどんな薬よりも必要なものだったのだと思います。
聖書の中にイエスが、弟子達の足を洗う記事があります。その足は砂漠を歩き続けて傷だら
けかもしれません。とても疲れていたと思うのです。
その足を「たらいに水を入れ、弟子達の足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始
められた」とあります。その疲れ、痛み、汚れを何もいわずそっとふき取っておられるその姿に
自分の母がしてくれた、そのぬくもりとやさしさがだぶるのです。
疲れて帰ってくる子供達、そして激しい戦いの中からもどる夫に対して私も母がしてくれたよう
にやさしく包み込む愛、やすらぎと安心を与えられたらと思いました。

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