「同労者」第59号(2004年9月)                 論説へ進む   目次に戻る

巻頭言
− 信仰の継承と信徒の証し − 
仙台聖泉キリスト教会  石井 矗


「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末
をよく見て、その信仰にならいなさい。」(ヘブル13:7) 

救いの恵みに与り40年になろうとしています。小さな器ですが「教会の建設」「家庭の建設」そ
して「事業の継承」を続けさせていただいております。40年前、自分のこれからの生きてゆく道
を探っていたとき、私はこの仙台教会の中で「信仰の継承」をすることを選択し、そのことを私と
神との信仰の約束とさせていただきました。その時私を捉え、信じることをさせた「神の救い」と
はどのようなものだったのだろうかと今思い返してみました。
その1つは私が幼い頃から両親につれられて来た教会の信徒の信仰の証でした。確かに神は
その人を罪の滅びの人生から救い、新しい命を与えられました。そして救われた人々はその
教会の中で育てられ導かれ、まさに「あの人は救われてすっかり変わってしまった」という人々
を多く見ることが出来、その中に神が確かにそこに生きて働いていることを見させていただき
ました。そしてもう1つは、救われてクリスチヤンとなった者は、何をなすべきかが明解に示さ
れ、実行されてきたことです。すなわちそれは「教会の建設」でありそれを支えるひとつ、ひと
つ、の「家庭の建設と確立」にありました。
力ある生かされた世の光、地の塩となる教会をつくるためには、何が我々に求められるでしょ
うか。それは、「献身」ということだと思います。若い時、時間、進路、就職、そして結婚と様々な
ことを選択してゆかなければなりません、そのときに取捨選択がなされます。今の時代、個人
の自由ということが権利として大きく主張されていますが、私たち信仰者は何を大切にしなけれ
ばならないかを考えなければなりません。聖書のみことばに「狭い門からはいりなさい、滅びに
至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行くものが多いのです。いの
ちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出すものはまれです」(マタイ7:13〜14)とあります。
神は信じて従い続けるものに正しい道を開き、生かし続けてくださるのではないでしょうか。
私はこの教会ではいつのまにか年長者になってしまいましたが、若い方々と教会の内外で多く
のかかわりを持たせていただいています。私にとっては大きな喜びであり感謝なことだと思って
います。なおそのようなことの中でひとりひとりがまちがいなくこの教会の中で信仰の継承をし
続けていってもらいたいものと思います。



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