「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞
いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。どう か、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御 霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるよ うになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどの ように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のす ぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ 1:15〜19)
サマーキャンプも終わりました。学校に行っている子供たちの夏休みも終わります。教会の
夏の行事もだんだん終わり、このシーズンになるといよいよ今年も結果が気になってくることで しょう。
クリスチャンの働きの結果あるいは結実は何に顕されるのでしょうか。殊にひとり神の前に立
って自分の姿を考え、今年は何の収穫があったかを問うとき、私たちは自分の霊性というもの を把握しておかなければなりません。
霊性というものは、イエス・キリストによって救われたクリスチャン以外の人々には理解できな
いものです。なぜなら、それは「人は新しく生まれなければ神の国を見ることができません。」(ヨ ハネ3:3)とイエスが言われ、「御霊のことは御霊によってわきまえるものだから」(コリントT1:14)とパ ウロがいった霊の事柄だからです。
実際の生活の中で、霊性はどのようなことに顕れてくるでしょうか。網羅することはできませ
んが、霊性を示すいくつかのことを取り上げてみましょう。
それは私たちの霊の事柄に対する理解力に顕れます。この理解力はみことば(聖書)の理解
とみことばへの畏れ、当面している事柄・事態が神の前に意味していることに対する理解力に なります。
霊性は私たちの価値観に顕れます。「宝を天に積みなさい。」と言われたイエスの言葉は知っ
ていても、何が真の宝であるか弁えないとそれができません。宝は尊いものです。それは十字 架の血潮による購いを尊いものと思い、救い、潔めを値高く値づもることに繋がっていきます。
潔めは、実生活の中に実現されなければなりません。「それでよいのか」という問いを覚えない
まま漫然と一生を送ってしまったら、潔めは自分のものとならないでしょう。
光の中を歩んで、霊性を高めて頂きましょう。そしてこの時期を実り多い時とさせていただこ
うではありませんか。 |