「同労者」第59号(2004年9月)     聖書の植物に進む  目次に戻る  論説に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
5.イエス・キリストの憐れみ
5.1 キリストの憐れみの対象(つづき)
(9)イエスは様々の不幸のために悩んでいるすべての人や悲惨な境遇の人、堕落している人た
ちを憐れまれた。
「イエスは怒って彼らを見回し、その心のかたくななのを嘆きながら、その人に、『手を伸ばしな
さい。』と言われた。彼は手を伸ばした。するとその手が元どおりになった。」(マルコ3:5)
 イエス・キリストはご自身の働きをなさるときに、決して義務的な冷淡な心をもってはなさいま
せんでした。彼の心は助けを求め、救いを願う人々の方へご自身を近づけられました。それゆ
え、彼の憐れみの行為には、余暇を用いた犠牲とか、努力奮闘の結果などというよりも、もっと
貴いものがありました。彼はそうした人を思うことが切実であったために、自らの心に痛みを覚
えられました。それゆえ、彼は人の悲哀をご自分の悲哀とされ、人の苦悩をご自分の苦悩とさ
れ、人の罪と恥とをご自分の罪と恥とされました。実に彼は人々の悲惨、苦痛、死、また罪とい
うものを見るとき、その心に大いなる苦悩のあえぎを感じないではおられませんでした。(そこ
でイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、
霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」(ヨハネ11:33))ここ
にイエスの力の大いなる秘訣が示されています。それは私たちが悲惨な人を慰めることが出
来る者となるために、その悲惨を自分のものとし、欲望を訴えている人を満足させることが出
来るために、その欲望を自分のものとなし、さらに進んで、世の多くの罪に沈んでいる人々を
救うことが出来るために、その罪を自分たちの罪とするということです。コリント人への手紙第
二5章21節「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、
この方にあって、神の義となるためです。」人を助ける真の力は貴くて高価なものです。しかし、
どんな人であっても、喜んでその価を払おうとする者にはそうした力が与えられます。どんな人
であっても、自分の心の軽い荷物を捨てて、この世の罪と悲哀と恥とを自分の重荷とし負うこと
が出来ない人は、自分が他の人の助け手であるという思いを自ら捨てた者であるばかりでな
く、他人に対して救助者としての資格を失った者というべきです。人は燃えるような感情的なこ
とばで救えるものではありません。ただ血を流す思いを心に宿すことによってのみ救うことがで
きるのです。

5.2 キリストの憐れみが顕された事例
(1) イエス・キリストの憐れみは、ただ単にことばや感情だけでなく、行為によって顕された。
「ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄
って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行
き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱
してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、
強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」(ルカ10:33〜36)
(2) 飼う者のいない羊のような人々に対するイエス・キリストの憐れみは、彼が自らの心に疲
労と苦痛を覚えておられた時にも、忍耐をもって彼らを教えられたことによって示された。
「イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊
のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。」(マルコ6:34)
(3) 飼う人のいない羊のような人々に対するイエス・キリストの憐れみは、病める人癒しによっ
て顕されている。
「イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直
された。」(マタイ14:14)
(4) イエス・キリストの憐れみは、飢えた人々に食事を与えられたことによって顕されている。
「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしと
いっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。
途中で動けなくなるといけないから。」(マタイ15:32)(以下次号)

<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


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