「同労者」第61号(2004年11月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− 心に知恵のある者 − 
仙台聖泉キリスト教会  茂永 清子


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者
が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)


 この聖書の御言葉はその当時、高校生だった主人が、自分の罪のために十字架の贖いを
なして下さったイエス・キリストを信じて救われた証としていただいた御言葉でした。私自身も聖
書の御言葉によって、憂える心を励ましていただき、いろいろな場面を通るたびごとに支えら
れて参りました。
 クリスチャンとしての主人との結婚を通して、私の救いがあり、宗教の異なるところで長年暮
らしてきた両親も、年老いてから導いていただき、神の恵みのなかに身を置くことができまし
た。神への感謝とともに私も救われて三十年あまりになります。今の自分の置かれている状況
を思いながら、自分の役割は何か、与えられている課題をこなしていくにはどうしたらよいかな
ど、思いめぐらすうちに、最近、聖書の中に「心に知恵のある者」という御言葉が目にとまるよう
になってきました。
 なぜなら、神は心に知恵のある者をお選びになり、神の器にかなった者として用いておられ
るからです。そういうことからすると、私には一生懸命さはあっても、心に知恵のある者になっ
ていない自分を見いだすのです。
 今、私は五十八才ですから、まだ遅くはないと自分に言い聞かせ、残りの信仰生涯を心に知
恵のある者を目指して歩ませていただきたく願っています。

「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(テ
モテU1:7)






                    麗しさはいつわり。

                    美しさはむなしい。

                    しかし、

                    主を恐れる女は

                    ほめたたえられる。

                          箴言31:30



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