「同労者」第61号(2004年11月)     信仰良書に進む  目次に戻る  教会通信に戻る

わかふうふわかもん

 − 度重なる災害に考えさせられること −
仙台聖泉キリスト教会  山田 行
 
「あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。」(詩篇91:5)

10月に入り段々と秋が深まりつつあります。
そんななか大きな台風が上陸して日本各地で大きな被害があったり、また新潟の大地震があ
ったりしました。テレビから流れる被害の大きさや悲惨さに、何度も胸が詰まる思いになりまし
た。
私も今から26年前のことくらいでしょうか、宮城県沖地震を体験していますので、特に地震に
対する恐怖はとてもあります。未だ小学生だったのですが、初めて「これで死ぬかもしれない」
という思いになったことを今でもはっきり覚えています。昔の古い教会でしたので、本当にみし
みしと倒れそうな音と、だからと言ってどこにも動けない、すさまじい揺れの中に弟をそばに置
きながら泣き叫ぶことしか出来なかったのです。幸い守られて家族、教会の方々、近所、学校
関係など、亡くなってしまう方が身近にはいませんでしたが、本当に恐ろしかったです。
そんな事も思い出しながらテレビを観ていますので、他人事(ひとごと)ではないことをつくづく感
じます。さっきまで普通に生活していた人が、一瞬のうちに、命を奪われるということがあるの
だなと思うといろいろ考えさせられました。
「人間には死という終点があるので今をどう生きるかを考えることが出来る」と言う言葉を本で
読んだことがありますが、私達クリスチャンは、死を超えた霊の世界があることを信じているの
で、そのながい尊い霊の世界を考えから外すことがないようにしなくてはいけないし、この肉体
を与えられている今はその世界への準備期間として生きなくてはいけないのだと、頭では知り
つつも何といっても私は臆病な人間ですので、いつも、どうしよう、どうしようと心配ばかりしま
す。そんな私を見て夫は「人間は霊なのだから、神様がその人の肉体を取られるとお決めにな
ればそれに従うだけでいいんだよ」と言いました。その時私自身の本当に委ねられない弱い信
仰を教えられ、すべてを支配していらしゃる神様におゆだねしながら生きるということを再度強
く感じさせていただきました。また神様の守りを、まるで当たり前のように思っていた自分にも
気づき日々感謝しつつ守りを願いつつ歩もうと思いました。


 

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