「同労者」第61号(2004年11月)          三浦綾子読書会に進む    目次に戻る
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信仰良書

− 神 へ の 道  (50) −
         D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 


 (前号より)さて、もしイエス・キリストが単に人に過ぎないとしたら、彼を死刑にすることによっ
てユダヤ人たちは自分たちの律法に従って正しいことをしたことになります。レビ記24章16節
に「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げ
て殺さなければならない。在留異国人でも、この国に生まれた者でも、御名を冒涜するなら、殺
される」とありますから。この律法によってユダヤ人は神を冒涜したすべての人を殺すことを強
いられました。キリストはご自身が神であられるという声明を出すことによっていのちを捨てな
ければならなかったのです。モーセの律法によって主は死という刑罰を受けなければなりませ
んでした。
 しかしヨハネ16章15節でキリストは「父が持っておられるものはみな、わたしのものです。で
すからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです」と言っ
ておられますが、キリストが単なる良い人に過ぎなくてどうしてそのような言葉を言えたのでしょ
うか。
 私は回心して以来、イエスは神であられ、彼の言われた言葉の数々は冒涜ではなく真理であ
った、という点で一度も疑いを抱いたことはありません。


一つの良い証拠

 かつて名うての罪人だった人がキリストが神であられることをどうやって証明するかと聞かれ
たことがありました。彼の答えは「どうやってですって。主は私をお救いになったのです。それが
最高の証拠じゃありませんか」というものでした。
 ある不信者が私に「私はバプテスマのヨハネの生涯について研究しています。ムーディーさ
ん、あなたはなぜ彼について説教しないのですか。彼はキリストよりも偉大な人物ですよ。彼に
ついて語ればあなたももっと大きな働きが出来るでしょうに」と言ったことがありました。私は彼
に「それではあなたがバプテスマのヨハネについて説教しなさい。私はあなたについて行ってキ
リストについて説教しましょう。そうすればどちらが最も良い働きをするかわかるでしょう」と言い
ました。すると彼は「それはあなたでしょう。なぜなら人々は非常に迷信深いのですから」と言っ
たのです。
 ああ。ヨハネは首をはねられたのです。そして彼の弟子たちは死体の引き取りを願い、彼を
葬りました。しかしキリストは死からよみがえられたのです。「あなたは、いと高き所に上り、捕
われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました」(詩篇68:18)。

 

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