「同労者」第62号(2004年12月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− 私にとっての教会学校 − 
仙台聖泉キリスト教会  石井 明子


「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためで
す。」(テモテU3:16〜17)


 この年も教会学校(成人科クラス)の学びを許されたことを感謝します。礼拝の前の魂を整え
る大切な時として与えられています。野澤兄が担当してくださり、20代から80代まで幅広い年
齢の方々と席を共にして学んでいますが、御言葉の中に、普段なかなか読むことのできない信
仰書に触れる時や、同労者の学びに、新しい発見と導きが与えられます。教えていただいて
も、時間が経つと忘れている部分も多いのですが、学び続けていくことで霊的にも形造られて
いくことを感じます。
 学びの中で、アンドリュー・マーレー「謙遜」より「主にある友よ。イエスの謙遜を学びなさい。
これが、あなたのあがないの奥義であり、隠れた根である。日ごとに、さらに深く、その中に沈
み込め。神があなたにお与えになったこのキリストが、謙遜によってあなたのうちに住み、働く
ためにおなたのうちにお入りになり、あなたを御父が望んでおられるようにしなさい。」に心が
留まりました。私自身、自我を通そうとして行き詰まった者ですが、遜って委ねて行くことを、御
言葉や人を通して示されてきました。従った時、救われ生かされている喜びと力が与えられた
ことです。
 また、私の先を歩まれた方々の姿は大きな励みであり、毎日の生活に追われて精一杯にな
りがちな者に、視野の広さと信仰の共感を与えられる恵みの時でもあります。野澤兄の労に感
謝しつつ、来年も教会学校に期待をもって、参加させていただきたいと思います。



 どうか、あなたのおきてを
私に教えてください。
あなたの戒めの道を
私に悟らせてください。
私が、あなたの奇しいわざに
思いを潜めることが
できるようにしてください。

  詩編 119:26〜27




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