「同労者」第63号(2005年1月)      信仰良書に進む  目次に戻る  教会通信に戻る

わかふうふわかもん

 「クリスマスの感謝」
仙台聖泉キリスト教会  山田 行
 
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。」(マタイ11:28)

12月に入り私たちの教会でもクリスマスに関する行事や、年末の感謝会も終えることが出来
ました。(まだ教会の大掃除がありますが・・・)子供達も沢山の楽しい行事や、クリスマスプレ
ゼント、教会の友達との交わりなどで「本当に楽しかったね」と満足そうな笑顔を見ると、今年も
神様の大きなお恵みに心からの感謝を捧げました。子供達だけでなく、私自身も一つ一つの
集会やお交わりを通して沢山の幸いを頂きました。
今年のクリスマス祝会では、私が教師をしている中学生クラスは、聖書の中の「放蕩息子」の
劇をしました。10月の半ばぐらいから練習を始めたのですが。中々気持ちが乗らないようで
「あ〜何か駄目だ〜」とか「だり〜」(だるいの意味。笑)など、教師をなめているようで(笑)全く
気持ちが乗らない様子でした。「どうしようかな〜〜」ともう一人の教師(今年から入った新米の
先生)に相談しても「こんなもんすよ」とこちらもなめられた答えを返され(笑)がっくり落ち込ん
だときがありました。中学生の男子3名一人は来年受験です。この一年彼らがどんな生活をし
たり、何を考えたりしているのか、ほんの少し知った時でした。
印象的なのは「教会の自分は、外の自分とぜんぜん違いますから」と正直に言ってくれたこと
や、「俺は、学校の先生が大嫌いだ」とか、彼らにも日々の生活のなで沢山の楽しいこともある
し好き勝手にすることもあるのですが、多くのいやなことや、わからないこと、悲しいこと、悔し
いこと、も大人と同じように抱えているということです。特に罪の問題は、クリスチャンホームで
育っているし、教会もあるので、感覚的には良くわかっているようですが、しかし誘惑に負けそ
うになるとき、負けるとき本当に苦しいんだろうなと感じました。神様を知っているからこその戦
いを彼らも日々しているのです。
 私は若いとき自分は本当に嫌な人間だと思っていました、でも「どんな、あなたでも神様は、
愛しています。」というこの短い言葉をもらったとき大泣きをしたことがありました、嬉しいという
よりも、「本当にこんな私でも良いのですか?」という安心の涙だったと思います。
彼らに今求めるのは、私の思うように良い子で「ハイハイ」と動くことではなく、今の彼らの闘い
の中でのありのままを教会は受け入れていることと、それは、神様がどんな状態であっても愛
していること、待っていてくださっていることを知ってもらいたいと思ったのです。
 いよいよ本番を迎えました、台詞もばっちりでしたし、何と言っても楽しそうにのびのびとやっ
ていました、失敗といえば私が台詞を忘れて、ほとんどアドリブにしたことぐらいでありのままの
彼らの劇が出来たと思いました。(おかげでまたなめられてしまいました。)
 神様によって今年も思いで深い感謝なクリスマスを与えられ感謝しました。

 

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