「同労者」第64号(2005年2月)               編集後記に進む  目次に戻る 
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一度は原書を読みたい本
 − キリスト者の完全  (18) −

  「その日、・・罪と汚れを清める一つの泉が開かれる。」(ゼカリヤ書13:1)
(訳文はたたき台です。気づいた誤訳やよりよい表現がありましたら、お知らせ下さい。
                  ・・ 編集委員)
 
Indeed his soul is all love, filled with 'bowels of mercies, kindness, meekness, gentleness, 
longsuffering.'
事実彼の魂は「慈悲、親切、柔和、穏やかさ、忍耐深さに満ち」すべて愛そのものである。

And his life agreeth thereto, full of 'the work of faith, the patience of hope, the labour of love.
'
なおその上、彼の生涯が「信仰の働き、望みの忍耐、愛の労苦」に満ちていることをよしとす
る。

`And whatsoever' he `doeth either in word or deed,' he `doeth it all in the name,' in the love 
and power, `of the Lord Jesus.' 
そして彼は「何事をなすにも」、「行いにもことばにも」愛と力の限り「主イエスの」「名によってす
べてをなす」のである。

In a word, he doeth `the will of God on earth, as it is done in heaven.'
一言で言えば、彼は「神のみ心が天においてなされるように、地においてもなす」のである。


"(6.) This it is to be a perfect man, to be `sanctified throughout;' even `to have a heart so 
all-flaming with the love of God,' (to use Archbishop Ussher's words,) `as continually to offer 
up every thought, word, and work, as a spiritual sacrifice, acceptable to God through Christ.' 
(6)「神を愛するすべての炎を通過した心を持っていることによって」「すみずみまで潔められて
いること」、(アッシャー大主教のことばに従えば)「すべての考え、ことば、働きをキリストを通し
て神に受け入れられる霊の犠牲の供え物として絶えることなくささげること」、これは完全な人
に属する。

In every thought of our hearts, in every word of our tongues, in every work of our hands, to 
`show forth his praise, who bath called us out of darkness into his marvellous light.' 
私たちの心の思いすべてに、私たちの舌にのぼるすべてのことばに、また私たちの手のすべ
ての働きの中に、「私たちを暗闇から彼の驚くべき光の中へと召し出してくださったお方の誉
れ」を示す。

O that both we, and all who seek the Lord Jesus in sincerity, may thus `be made perfect in 
one!' 
オー、私たちもまた主イエスを真摯に求めるすべての人々も、共にこのような「完全な人の一
人としていただけますように」!

"This is the doctrine which we preached from the beginning, and which we preach at this 
day.
これが私たちが初めから教え、今日も教えている教義である。

Indeed, by viewing it in every point of light, and comparing it again and again with the word 
of God on the one hand, and the experience of the children of God on the other, we saw 
farther into the nature and properties of Christian perfection.
事実、各々の時点における光によって眺めることにより、そして一方では繰り返し繰り返しそれ
を神のことばと、また他の一方では神の子らの経験に照らし合わせて、私たちはキリスト者の
完全の性質と挙動(働き、特性、包含している内容)を更に深く理解した。

But still there is no contrariety at all between our first and our last sentiments.
そして私たちの最初から最後までの考えの間に、いまだひとつの矛盾も存在しない。

Our first conception of it was, It is to have "the mind which was in Christ," and to "walk as 
He walked;" to have all the mind that was in Him, and always to walk as he walked: In other 
words, to be inwardly and outwardly devoted to God; all devoted in heart and life.
それが何であるかということについての私たちの最初の概念は、「キリストの内にあった心を」
持つこと「彼が歩まれたように歩むこと」、彼のうちにあったすべての心情を持ち、彼が歩まれ
た通りに歩むことである。他のことばでは、内も外も神に捧げること、心と人生の全てを捧げる
ことであった。

And we have the same conception of it now, without either addition or diminution.
そして私たちはそれに付け加えることも削除することもなく、現在も全く同じ概念をそれに対し
て抱いている。(以下次号)


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