「同労者」第64号(2005年2月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− 結婚生活を省みて − 
仙台聖泉キリスト教会  森田 初実


「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたが
たの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安
が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6〜7)


 私たち夫婦は結婚をして17年になります。早いものでもうそんなになるのかなあと、改めて
思いました。そしてこの間に家族も増えて、皆で教会生活に励み、守られていますことを心より
感謝しています。
 私たちがまだ婚約の時期だった時に与えられた御言葉がピリピ4:6、7です。そして心にとま
った賛美もありました。それは讃美歌600番「信仰が持てたら」でした。この2つの御言葉と賛
美はこの17年間の私の心の支えであり、励ましでした。
 結婚した時の私は、ほんとうにまだ若く、両親や母教会の先生方には愛され、大切に育てら
れましたので、世間のことは何もわからずにいるような娘でした。また何もかもが新しい環境に
なりますし、私はいろいろの事で試みられました。その中で私たちの婚約式が荒川教会で行わ
れたのですが、主人のリクエストした讃美歌が600番でした。もし私がその時リクエストの讃美
歌を求められていたのでしたら、私も心の中にあった賛美も讃美歌600番でした。婚約式で私
は心から賛美し、確かに私は信仰をもってこの結婚を神様にお委ねすることが出来ると確信
が与えられました事を、この讃美歌を歌うたびに思います。また、結婚生活も年数が経つごと
に課題が与えられ、信仰生活にも社会生活にも責任と重荷がましていくことでありますが、この
ことは私自身のことで感じているだけではなく、主人を通して責任や重荷を感じることが多くあ
ります。
 去年の私たちの礼拝のメッセージには、師士記から、それぞれの師士たちが神との関係の
中にどのように生き、神と共に歩んで生きたかが語られました。私たちも今の時代にあって、
神が何を私たちに求めておられるのかを学ばさせて頂きました。週ごとの礼拝のメッセージを
うかがって糧を得、一週間歩んでまいりますが、時に、私にはとても耐えられませんと思うよう
な試みを通ることもあります。また強められたり、上記のように御言葉や賛美で支えられたり、
先生方のお祈りによって励まされたり、主人が近くにあることで私が迷っている時や不安に思
う時にも前向きに進むことができます。
 私たちの願いは、子供たちへの信仰の継承であります。この願いのためにも主人も私も祈っ
ています。そのことのために、それぞれ、いろいろな戦いの中に置かれています。それは神の
摂理であり、私たちが師士の時代の人々のように、主と共に生きる大切な現場であることに感
謝します。現実に主人は仕事が忙しく、いつ教会の奉仕のために時間をとっているのだろう、
準備をしているのだろうと思います。お互いにコミュニケーションがとれる時には、その時間を
大切にします。主人は、遊びであったりしかることであったりする子供との時間をまず第一にし
て、子供と向き合っています。このような小さな家庭に、神様の恵みがありますのは、真摯に神
の前を歩んでいる主人の姿があるからだと思います。私はこのような主人のためのよき助け
手となり、主人と共に神に愛され、へりくだった者となりたく願います。そして夫婦がまた家族が
教会と共に生きることを望みます。
 これから先の結婚生活にも、今まで以上の課題、責任が与えられていくことと思います。それ
は光栄なことであり、私たちの信仰の成長として、感謝して取り組まさせて頂きます。




主が家を建てるのでなければ、
建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ、
守る者の見張りはむなしい。
 あなたがたが早く起きるのも、
おそく休むのも、
辛苦の糧を食べるのも、
それはむなしい。
主はその愛する者には、
眠っている間に、
このように備えてくださる。
見よ。
子どもたちは主の賜物、
胎の実は報酬である。
若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
幸いなことよ。
矢筒をその矢で満たしている人は。
彼らは、門で敵と語る時にも、
恥を見ることがない。
詩篇一二七篇



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