「同労者」第64号(2005年2月)   聖書の植物に進む  目次に戻る  巻頭言に戻る

論  説

 − 信仰書について 

 人はどのようなものを読むかによって、影響を受けます。四角張った言葉で表現するなら、知
識に始まり、思想、信条が変わっていきます。事件を起こした犯人の家に、その事件と似たよ
うな本、漫画、ビデオソフトなどが多数あったという例は珍しくありません。たとえその様なこと
でなくても、新聞、週刊誌、娯楽本などこの世のものに漬かって、もし信仰書を全く読まなけれ
ば、いつの間にか、その人の心はこの世で満たされてしまうでしょう。私たちは、それこそ修道
院にでも入らなければこの世のものに触れないというわけにはいきません。それは出来ないこ
となのですから、私たちは自分の心を潔く保つために、心がけてよい信仰書に触れなければな
らないのです。
 信仰書であれば何でもよいのかというとそうではありません。本には著者の主張が顕されま
す。著者の信仰は当然その所属する教会の神学を反映しています。ですから本にはその所属
する教会・教派の神学的傾向が顕されます。もちろんどの教派の方の著書でも、学ぶべき点
があります。しかし、自分の信ずべきものは何であり、別の教派の人々はどのように信じてい
るかをよく理解していないと、その本がかえって信仰を見失わせるものにもなるのです。キリス
ト教の書籍を取り扱っている書店にいってどんな本が書棚に並んでいるか、売り出されている
本を見ると、現在のキリスト教界の勢力図のようなものが見えてきます。ざっと見ただけであっ
て、正確な統計ではありませんが、堅調に多数の書籍を出版しているのはカルビン系の神学
に立っている本です。加えて最近急速に増えているのは、ペンテコステ派の本です。残念なが
ら私たちの信じている正しくアルミニアン・ウェスレアンといえるきよめ派の本は、少なくなって
います。
 実際私たちにはほんのわずかの信仰書しか読めないという現実があります。ですから、読む
努力とともに何を読むかその選択が大切です。
 もちろん、全人口に占めるクリスチャンの比率が大変少ない日本なのですから、真摯なクリ
スチャンであるなら、どの教派の方々とも協力しあっていくべきであって、自分たちの殻に閉じ
こもっていてはなりません。ただ、お互いの信じているものをよく理解していることが、その協力
を益あるものとするために必用です。
 故山本岩次郎牧師は、信仰書を大切にする方でした。自分も信仰書をよく読み、信徒にも読
むことを勧めました。
 私たちもよい信仰書を求めて読むことを心懸けようではありませんか。
  

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