「同労者」第65号(2005年3月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− 教 会 堂 − 
仙台聖泉キリスト教会  森田 心


 昔(前)の教会堂は木造で私が中学校まで過ごした会堂です。冬の時期は街道の後ろの席
の側に大きなストーブがつけられ、その周りは顔が真っ赤になるぐらい暑いのに、前の席は暖
が無いぐらい寒かったり、会堂に入る引き戸がとても開きづらく、開いても今度は閉まらなくな
ったり、牧師館へ昇る階段が急でこわかったり、・・しかしその中でたくさんの楽しい思い出があ
ります。
 私が高校に入ってから、現在の堂会が建てられました。今思うと新しい会堂を建てる話はい
つごろから決まっていたのだろうか、誰が言い出したのだろうか。いずれにしてもその当時、今
の私と同じ年代の方々が、その建設の中心にあったことだと思います。建て直している期間
は、私たちの教会の石井兄の営む工場の一郭をお借りして集会も守られていました。その時
もおもしろい思い出がありました。会堂が取り壊されて出来上がるまで父は私たちを連れて幾
度もその場所を見に行っていました。30分から1時間ほど見ているその時間がとても長く感じ
られました。その当時他を見てつっぱしっていた高校時代の私には、教会堂が建つことへの喜
びやその戦いなど少しも解らずにいました。父が私にあなたも会堂献金をしなさいといったの
で、おこづかいの中から献げた記憶がありますが、それもほんの数回だったように思います。
 近年、聖泉の幾つかの教会堂も新しくされ、その中で私の義弟妹の教会堂も建てられ、彼ら
も若いながらその建設の為に労苦し、作り上げていった姿を見ながら、私も教会堂を建てたい
という気持ちが浮かびあがってきました。実際私たちの教会堂はまだまだ数十年立派に耐え
得る建物で、私が長く生かされることがあれば、それを見ることが出来るかもしれません。
 ただ今の会堂も25年が経ち、少しずつ老朽化が進み、いたる所補修が強いられてきまし
た。幸い信者の方々の中に鉄工業や内装職人、タイル張り職人、ペンキ塗りアルバイトなどの
方々がおり、その方々によって手が加えられてきました。その中で昨年は大きな補修改善工
事がなされました。雨漏れやドアのひずみや老化の腐食など直さなければならない箇所が多く
出てきました。その事の話し合いがなされ、進められていく中で、私の働きがここにあることが
示されました。この教会堂を建てた方々の会堂を大切に維持していくことで私も先の方々が献
げ続けてきた戦いや喜びを引き継いでいけるのだと思いました。
 昨年の大きな工事が終わって出来上がった時、されにその事を強く思わされました。直す所
はこれで全部終わったわけではなく、まだやるべき箇所はたくさんあり、続けていかなくてはな
りません。その働きは私たちの世代の守るべきことの大切な一つであることが解り感謝してい
ます。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住
むことを。」(詩篇27:4)



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