(2) サタンの妨害(つづき)
<聖書への懐疑を持ち込む>
16世紀は、ルターやカルビンによる宗教改革の時代でした。17世紀になってヨーロッパに
は合理主義という考え方が広まりました。その哲学的な風潮はキリスト教の世界にも影響を及 ぼし、理神論と呼ばれるものが現れてきました。宗教改革の時代には聖書に権威があるのか カトリック教会に権威があるのかと争われました。しかしこの理神論というのは、一口で表現す ると人間の理性に権威をおくというものです。コペルニクスやガリレイらの天文学的な発見によ って、天動説に対して地動説がとってかわるなどの事情があり、また科学技術、医学などの領 域でも大きな変化があったことが影響を与えました。理神論者は神は宇宙を創造されたが、自 然法則にその運行をまかされ、ご自分では直接手を加えることはなさらない。だから自己の認 識と思索で到達できることがすべてであるとします。
理神論の影響を受けて、聖書そのものを懐疑の目をもって調べ直す聖書批評学なるものが
登場しました。中にはベンゲル(1687−1752)のように、敬虔なクリスチャンの立場から、聖 書の写本を比較して、どれがもとの本文なのか詳しく研究した人もいます。しかし聖書批評学 の大きな流れは、著者を否定したり、聖書記事相互が矛盾すると主張したり、実現した預言は 後代の人が書いたのだなどと主張して聖書の権威を失墜させるものでした。
聖書批評学の流れは、聖書を疑って読むことをさせますから、やがてイエスの神性を否定し
たり、奇跡は全部存在しなかった、あるいは手品をやったのだとかといった解釈に進みまし た。
時代は重なりますが、18世紀になってウェスレーの始めたメソジスト運動による信仰復興が
あり、正統的なキリスト教が力を得ました。しかし、救われる経験、潔められる経験を持ってい ない人々の間に、単なる生活習慣として教会に通い教会が社交場と化すことはいつの時代に も存在します。そのようなことが原因で、神、キリストの実存する宗教であるべきだと主張する 人々が現れました。バルト、ブルンナーらの名がその代表的な人物として知られています。残 念ながら彼らは聖書批評学を受け入れる立場に立ってその主張をしました。ですから、「聖書 は人のことばであるが、神がそれを用いたもうときだけ神のことばとなる」と考えます。彼らが すぐれた人物であったがゆえに、かえってその及ぼした悪影響にははかりしれないものがあり ました。私たちは前書き抜きで「聖書は神のことばである」と信じなければなりません。
(以下次号)
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