神が私たちに備えられた救いのみ業には、現在与えられていることの他に、やがて与えてい
ただける事柄があります。その内容についての学びを続けています。本コラムでは第2回目に 聖書研究会で取り上げた項目を示しましたが、ここにもう一度記載しておきます。
1.キリストの再臨と教会の携挙
(1)再臨の内容、条件、時期
(2)サタンの妨害
(3)教会の携挙
2.千年王国
3.この世の滅亡
4.新天新地
(2)サタンの妨害の項は、キリストの再臨される条件が整い、それが実現する時が、サタンの滅
亡のときですから、サタンは必死でそれが整わないように働いていると言う視点から、サタンが 今どのような活動をしているかを、以下の項目に分けて考えました。
・偽キリスト教を持ち込む
・クリスチャンの絶滅をはかる
・聖書を封印する
・他の宗教による妨害
・宣教への妨害
・聖書への懐疑を持ち込む
・キリストを信じていると思っている人々の福音経験(救われること、潔め られること)を
失わせる
前回でそれを終了し、今回から(3)教会の携挙の項に入ります。
(3)教会の携挙
キリストが再臨されるときにおきることを、イエス自らこう言われました。
「あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲
に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」(マタイ26:64)
そしてパウロはこう述べています。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来ら
れます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たち が、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このよう にして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケT4:16〜17)
再臨の内容の項で述べたことの繰り返しになりますが、イエス・キリストが再臨されるとき、
人々は地上ではなく空中で主にお会いするので、これを「キリストの空中再臨」といい、人間 の側からは「教会の携挙」といいます。
また黙示録にはこう記されています。
「彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。そのほかの死者は、千年の終わ
るまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸い な者、聖なる者である。」(黙示20:4〜6)
パウロのことばにもありますが、この黙示録のことばとあわせて、こう結論できます。再臨の
とき起きる出来事は、
・死者の復活(第一の復活)
・復活した死者と生きている人の携挙
です。この携挙に与った人々は、キリストと共に千年の間王となることが約束されていますが、
この千年については次の章で取り扱います。
<第一の復活>
ダニエル書に死者の復活が預言されています。そして正しいものも罪人も復活することが示
されていますが、この段階では両者に時間的な区別があることは示されていません。
「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある
者はそしりと永遠の忌みに。思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者 は、世々限りなく、星のようになる。」(ダニエル書12:2)
黙示録によって、この復活には順序があることが示されました。そして聖なるものだけがキリ
ストの再臨のときに復活し、それを「第一の復活」ということが述べられています。
第一の復活に与るのは、「キリストにあって死んだもの」であり、「イエスのあかしと神のことば
とのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻 印を押されなかった人たち」(黙示20:4)です。
この第一の復活に与る人々はイエスが語られた幸いな羊です。
「そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。
世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空 腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたし が旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが 病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを 見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつ、あなたが 旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、 いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』す ると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらの わたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」
(マタイ25:34〜40) (以下次号)
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