「同労者」第68号(2005年6月)   聖書の植物に進む  目次に戻る  巻頭言に戻る

論  説

 − 福音の練達した証人となろう 

 もう40年以上も経ってしまいご本人は既に亡くなられましたが、仙台聖泉キリスト教会に山
田さんという人がいました。この方は元代議士の秘書だったとのことですが、同教会牧師、小
島彬夫先生の熱烈なファンで、先生が巣鴨教会に転任されたとき、東京までついていきまし
た。救われて間もない筆者が路傍伝道の案内に立った時、この山田さんが私に"聞こえるよう
に聞こえないように"「何を言いたいのかさっぱり分かりませんな。」とつぶやいていました。私
は福音経験を説明する技量が必用であることを自覚させられました。
 人は福音経験を上手に説明されて納得しても、それだけで救われるのではないことは確かで
すが、しかし正しく説明することは大切です。私たちは「信仰によって救われる」のですから、こ
の「信仰」ほどキリスト教で使われることばは少ないことでしょう。そして信じている人々の多く
が同じ信仰を持っていることは疑う余地がありません。ところが、その信仰とはどんなものか説
明してある書物などの文章を読んでみると、実に多くの違いがあります。よい説明がされてい
るものを紹介しますと、「信仰は神の啓示に対する人間の応答である・・。このような応答は、
三つの要素の複合として見られるであろう。第一は神の言葉に対する同意、第二は神の要求
に対する従順、第三は神に対する信頼、信任である。・・」(福音文書刊行会発行「キリスト教信
仰の探求」p.14〜15)
信仰は単に「分かった」というだけではなく、「信じなさい。」という神のご命令に、「信じます。」と
応え、ご命令に含まれる行わなければならない事を実行する意志的行為です。意志を働かせ
ることができるのは、「今」しかありませんので、「今」という時間がこの信仰の大切な要素で
す。
 ヘブル人への手紙11章1節「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信さ
せるものです。」を信仰の定義だと考える方がいますが、この箇所は信仰の「定義」ではなく、
信仰がどのような「働き」をするのかを説明しているのです。続く2節以下にその働きの具体的
な内容が列記されています。
 福音経験は信仰の経験です。福音経験を説明する技量に向上するためには、その経験に
至った情況をよく観察すること、その経験をする以前の自分と以後の自分をよく観察すること、
それが聖書の示しているどういう内容と合致しているのか考えること、そしてその経験に符合
するみことばを見いだすことが大切です。もちろんみこばによって福音経験に導かれることは
幸いですが、必ずしもそういう順であるとは限りません。そして実際に証に立つ経験を積み重
ねて証することに慣れることです。
 私たちに与えられた恵を語ることは、クリスチャンとして生きるもっとも大切な部分であること
は疑いありません。心がけてその福音経験の練達した証人となろうではありませんか。

  

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