「同労者」第58号(2004年8月)          JSF&OBの部屋に進む   目次に戻る 
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三浦綾子を読む
(3)
          − 光あるうちに −
                東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 前々回は三浦綾子氏の自伝である「道ありき」、前回は「道ありき第二部結婚編」である「こ
の土の器をも」を取り上げさせていただきましたが、今日は「道ありき三部作」の完結編である
「道ありき第三部信仰入門編」の「光あるうちに」をご紹介したいと思います。
 この書は副題の通り信仰入門書と言うことができますが、普通の信仰入門書とは異なる点が
2つあります。
 まず1つは、この書の前に豊かで、感動的な信仰の証しの書があるということです。三浦綾
子氏の信仰とは単なる理論や教理などではなく、実際の体験に裏打ちされた筋金入りのもの
だと言うことができるでしょう。そこに多くの人々が引き付けられ、納得させられる力があるの
だと思います。
 また、この書の前に信仰の証しがあるだけでなく、この書の中にも彼女の信仰の証しははっ
きりと記されています。「道ありき」や「この土の器をも」の中ですでに触れられた事柄を初め、
彼女が実際に体験した証しが随所にちりばめられています。
 とにかく、この書は三浦綾子氏の実際の信仰の証しの上に書かれた書だということを私達は
心に留めておく必要があります。
 そして第2の異なる点は、この書の構成です。アメリカなど西洋の普通の信仰入門書は「神」
という項目から始められています。しかし、三浦綾子氏はその常識を覆し、「人間」という項目
から書き始めます。しかも、その項目に割くページ数は尋常ではなく、実にこの書の半分を占
めています。
「罪とは何か」「人間この弱き者」「自由の意義」「愛のさまざま」「虚無というもの」という5つの章
で、人間とは「罪人」であり、「弱い者」であり、「不自由な者」であり、「愛のない者」であり、「虚
無的な者」であることを明確に論証しています。
 「神」という概念の希薄な日本人に対して西洋風の「神」から始まる伝道方法をやめ、三浦氏
は日本人が普段から関心の高い「人間」というテーマで十分に日本人の注意を引き付けてお
いて、その後から「神」について徐々に語り始めるという伝道方法を採用していると言えるでし
ょう。このあり方は、彼女の作品すべてに共通しているものであり、彼女が現在日本で最も成
功した伝道者だと言われる所以だと思います。
 三浦氏は「人間」の後「神」「キリスト」について述べて行きますが、普通西洋風伝道書にあり
がちな「信仰のための祈り」をその後に置かず、次には「教会」という項目をしっかりと据えてい
ます。信仰とは教会において持ち、そして養い育てられるものであるという彼女の確信がそこ
に表されているように感じます。彼女は、この書で他の人々に勧めたように、有名人となってか
らも所属教会での礼拝を第一とする生活を貫き通しました。そこに彼女が人生の終
わりまで主に豊かに用いられた秘訣が隠されていたと言えるでしょう。
 
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