「同労者」第58号(2004年8月)     聖書の植物に進む  目次に戻る  論説に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
5.イエス・キリストの憐れみ
5.1 キリストの憐れみの対象(つづき)
(3)イエス・キリストは一般の群衆をも憐れまれた。
「イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直
された。」(マタイ14:14)
 イエス・キリストは多くの人の群れをごらんになって、常に憐れみの心を動かされました。彼が
多くの群衆を憐れまれたことは、新約聖書の中に5回記されています。人々の群れつどう有様
は、イエスの目には憐れむべき光景の一つとしてうつりました。それは大変悲しく、苦痛で、罪
多いものと思われました。皆さんはそのような群衆をみるときどう感じられるでしょうか。ここに
掲げた聖句の前後の文脈によれば、イエスのもっとも大きな注意を引いたのは病人のようでし
た。

(4)イエス・キリストは盲人を憐れまれた。
「イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようにな
り、イエスについて行った。」(マタイ20:34)

(5)イエス・キリストは悪霊につかれた者、すなわち「汚れた霊」の力の犠牲となっている者を憐
れまれた。
「『・・この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、お
できになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。』・・
イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。『おしとつんぼ
の霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけな
い。』」(マルコ9:22、25)
 その人の中には、人のいやがる憎悪すべきものが多く所有されていました。しかし、イエスは
彼を憐れみの目を持って見られたのです。

(6)イエス・キリストはらい病人を憐れまれた。
「さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。『お心一つ
で、私はきよくしていただけます。』イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われ
た。『わたしの心だ。きよくなれ。』」(マルコ1:40〜41)
 その当時の宗教界の人々は、一般社会の人々と同様にらい病人に対して嫌悪の情をまち、
嘲り罵っていました。ところがイエス・キリストは世の人々とは反対に、らい病人を憐れまれまし
た。この世は彼らから遠ざかろうとしましたが、イエスは彼らに近づいて行かれました。

(7)イエス・キリストは愛する者を失った人を憐れまれた。
「イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出された
ところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。主はその母親を見てかわい
そうに思い、『泣かなくてもよい。』と言われた。」(ルカ7:12〜13)
 これはイエスが、葬式の行列に出会われたことを記した唯一の記事であって、このイエスの
感情がいかに死を悲しむ者の上に動いたかということを教えるものです。死を悲しむ者に対す
る皆さんの感情はどのようなものでしょうか。皆さんが葬式の行列に行き会うときの感情はどう
でしょうか。

(8)イエス・キリストは罪深い者、失われた者、すなわち霊的に死んでいる者を憐れまれた。
「さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。すると、パ
リサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。『この人は、罪人たちを受け入れて、食事
までいっしょにする。』そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。・・こうして彼は立ち
上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つ
け、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
・・」(ルカ15:1、2、20)  (以下次号)

<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


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