「同労者」第58号(2004年8月)      Q&Aルームへ進む  目次に戻る  巻頭言に戻る

論説

 − 急ぐことの重要性 

「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことば
の初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、
乳を必要とするようになっています。まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じ
てはいません。幼子なのです。しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と
悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。」(ヘブル5:12〜14)


 私たちはイエス・キリストの教会の働き人たちの「同労者」でありたいと、願っています。その
働きのために、今回は
 "友よ。急ごうではないか。"
とおすすめしたいと思います。
「急ごう」と提案しているのですが、主張していることを、取り違えないようにして頂きたいと思い
ます。急がないことが美徳であるかのように言われる世の中の風潮に、皆さんも慣れてしまっ
て、急ごうという提案が受け取りがたいもののように感じるのではないかと危惧するのです。提
案の対象となる方々は、心身ともに健康でイエス・キリストのために働きたいと志す方々です。
休養の必要な方々をせきたてているのではありません。病気の人は休養、療養をし、癒される
よう努めなければならないですし、疲れている人は休まなければならないことは当然です。
 もし筆者が、皆さんお一人一人に面談し、イエス・キリストのために働きたいですか、働き人
の「同労者」を務めたいですか、と尋ねたら、「いいえ」と言われる方はいないでしょう。私たち
は漏れなく皆イエス・キリストのために働きたいと思っています。
神の国のこととこの世のこととには類似していることが多くあります。もし誰かが学校で、1年で
学ぶ分の勉強を10年かかって学んだらどうでしょうか。その人が、その勉強の分野で有能な
働きをするとは考えられません。同様に福音の働きにおいても、ある一定の期間に学んでしま
わなければならない学科があります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道
者の書12:1)若い内に救われ、潔められることを求めなければなりません。
また仕事をするときに、さっさと体を動かす人と、のろのろしている人では仕事が出来る量が変
わります。その差は体力よりも心がけるか否かにかかっていることが多いのです。
これは自分を神から遠ざけるものであると思ったことを、きっぱりと直ちにやめること、それが
急ぐことです。悔い改めの必要を示されているならそれを急ぎましょう。善をなすことが示され
ているならそれを早くなしましょう。祈ることを示されているなら早く祈りましょう。
 そのようにして私たちは、「イエス・キリストのために働きたい」「イエス・キリストの教会の働き
人の同労者になりたい」という志を果たすことが許されます。
  

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