「同労者」第58号(2004年8月)          三浦綾子読書会に進む    目次に戻る
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信仰良書

− 神 へ の 道  (47) −
         D.L.ムーディー 著   仙台教会 山田 大 

第5章 神からの救い主

「あなたは、生ける神の御子キリストです」(マタイ16:16、ヨハネ6:69)

 求道者の中にキリストの神性を信じないという人々がいますが、この問題に光を与えるたくさ
んの聖句があります。
 コリント人への手紙第一15章47節には「第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、
第二の人は天から出た者です」とあります。
 ヨハネの手紙第1の5章20節はこう言います「神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私
たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御
子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです」。
 さらにヨハネ17章3節には「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなた
と、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」とあります。
 そしてマルコ14章60〜64節ではこのように言われています「そこで大祭司が立ち上がり、
真中に進み出てイエスに尋ねて言った。『何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不
利な証言をしていますが、これはどうなのですか。』しかし、イエスは黙ったままで、何もお答え
にならなかった。大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。『あなたは、ほむべき方の子、キリス
トですか。』そこでイエスは言われた。『わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に
着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。』すると、大祭司は、自分の衣を
引き裂いて言った。『これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、神をけがすこのこと
ばを聞いたのです。どう考えますか。』すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があ
ると決めた」。

 私がキリストの神性を信じる理由

 私がキリストの神性を信じるのは、もし彼が神からのものでなかったなら、彼がどのような方
で、どのように関わるべきかわからないからです。私が子供の頃、キリストはモーセやヨセフや
アブラハムのような「いい人」だと思っていました。この地上にかつて生きた人々の中で最高の
人だとさえ思っていたのです。しかし私はキリストがもっと高い地位を持っておられることに気づ
きました。彼は「神であり人である」という立場のお方であり、神性を持つお方であり、天から来
られたお方です。彼は言われました「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハム
が生まれる前から、わたしはいるのです」(ヨハネ8:58)。(この項つづく)



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