「同労者」第59号(2004年9月)          JSF&OBの部屋に進む   目次に戻る 
                                        三浦綾子読書会に戻る

三浦綾子を読む
(4)
          − 氷 点 −
                東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 これまでの3回は三浦文学の土台とも言える「道ありき」3部作を取り上げさせていただきま
したが、今回からは三浦文学の代表作を紹介させていただこうと思います。
 その第1回目は、三浦文学の処女作でもあり、最も有名な作品でもある「氷点」ですが、この
作品は朝日新聞社が行った1千万円懸賞小説で入選した衝撃の作品です。最近では2001
年にテレビで再びドラマ化されたのが記憶に新しい方々もおられるでしょう。
 さて、この作品のテーマは「原罪」という聖書の重要な教えです。「人間がその先祖アダムとエ
バ以来生まれながらに持っている罪」のように「原罪」は定義することができますが、このように
単なる短い言葉によってではなく、文学という豊かな手法を用いて、キリスト教のバックグラウ
ンドのない日本人にもその意味をわかりやすく説き明かしたことにおいて、非常に評価される
べき作品だと言えるのではないでしょうか。
「風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝やいて、つくりつけたように動かない。ストロー
ブ松の林の影が、くっきりと地に濃く短かかった。その影が生あるもののように、くろぐろと不気
味に息づいて見える。」
 この作品はこのような言葉で始まっていますが、ここにはこの作品のテーマがすでに明らか
にされています。それは「光と影」です。この世界にも、そして人間にも「光と影」を私達は見る
ことができます。わかりやすく言い換えれば「良いものと悪いもの」「善悪」と言ったらよいでしょ
うか。
 この作品に登場する人物には、必ずこの両方が見られます。例えば、辻口啓造という人物
は、家庭でも職場でもすばらしい人格者(これは「光、善」に相当)として描かれていますが、そ
の反面不倫をした妻夏枝に対しては驚くべき復讐を図る恐ろしい人物(これは「影、悪」に相
当)として描かれています。その彼の心の中の思いは、この作品の冒頭の言葉のように、実に
「生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える」ものと言えます。
 このような「生あるもののように、くろぐろと不気味に息づいて見える」影は、すでに述べたよう
にすべての登場人物に見られますが、最後にその影が全く見られないかのように思われた辻
口陽子という人物に三浦綾子氏はやはり影があることを示していきます。その影を辻口陽子
は「自分の中の罪の可能性」「私の血の中を流れる罪」と自殺前に書いた遺書に記しています
が、彼女はそのような汚れた自分の存在に気付いた時、自殺によって自らを裁かずにはいら
れなくなってしまうのです。
 「氷点」で自殺前の陽子が求めていたものは自らの罪の「ゆるし」でしたが、「続氷点」ではこ
れがテーマとなっていきます。

 
JSF&OBの部屋に進む   三浦綾子読書会に戻る   目次に戻る   トップに戻る