「同労者」第59号(2004年9月)
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D.L.ムーディー 著 仙台教会 山田 大 訳
この結論に到達すると思いますし、もし異論がおありなら議論にも応じようと思いますが――イ エス・キリストは詐欺師かペテン師であるのか、もしくは神であり人であるお方、即ち神が肉体 に現れなさったお方である、との結論へと追いやられました。それはこれらの理由からです。十 戒の第一の戒めは「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」(出エジプ ト20:3)ですが、無数のキリスト教徒全体がイエス・キリストを神として礼拝しているのを見てご 覧なさい。もしキリストが神でないのならこれは偶像礼拝です。もしイエス・キリストが人に過ぎ ないのなら、つまり彼もまた造られたものであってご自身が主張しておられるような存在ではな いのだとしたら、私たち全ては第一の戒めを犯した罪人となるのです。 キリストの神性を認めないある人々は、彼は古今東西の人類で最高の人であると言います。 が、もし彼が神でないのなら、良い人間であるとみなされるべきではありません。なぜならまさ にその人々が彼にはその権利も称号も無いと宣言する神としての栄誉と尊厳を彼は自らのも のとして主張したのですから。そのことによれば彼をペテン師と位置づけるべきではありません か。 またある人々はこう言います。「キリストは自分が神だと思った。しかし彼は欺かれていたの だ」と。あたかもイエス・キリストが惑わしと欺きによって心が奪われ、実際のご自分以上の存 在であると思い込んでしまったかのように言うのです。私はイエス・キリストについてこれ以上に 愚かな考えは思い浮かびません。これはキリストをペテン師とするばかりでなく、気が狂ってお り、ご自身が何者であるか或いはどこから来たのかわからなかったとする考えです。さてもしキ リストがご自身が主張するように世の救い主でなかったなら、そしてもし彼が天から来られたの でなかったなら、彼はとんでもない詐欺師です。 しかしイエス・キリストの生涯を読んで、彼が詐欺師であったと言うことが出来るでしょうか。人 が誰かをペテンにかけるには概して何か動機があるものですが、キリストの動機とは何だった と言うのでしょう。彼は、ご自分が追い求めている道は十字架へと続く道であることを知ってお られました。ご自身の名は汚れたものとして捨て去られること、そしてご自身に付き従う人々の 多くは主のためにいのちを捨てるため召されていることを知っておられました。ほとんど全ての 使徒たちが殉教者となり、群集の中で無価値な人間のくずとみなされました。ペテン師ならば その偽善の陰に意図があります。しかし何かキリストに隠れた意図があったと言うのでしょう か。キリストについては「巡り歩いて良いわざをなし」たと記されています。これはペテン師の働 きではありません。あなたのたましいを敵に欺かせてはいけません。 |