「同労者」第62号(2004年12月)  三浦綾子を読むに進む 目次に戻る
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三浦綾子読書会

 三浦綾子読書会とは(7) − 
    東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 主の豊かな備えによって演劇「道ありき」の練習が始まったのは、2002年12月のことでし
た。公演当日である2003年3月1日までは約3ヶ月が残されただけでしたが、キャストとなっ
たメンバー達はそれぞれの仕事と平行して熱心に練習に励んでくれました。この私もキャスト
の人数が足りなかったため出演することとなり、病人と牧師の2役を演じることになりました。
 しかし、1つだけキャストが決まらない役があったのですが、それは綾子さんを受洗まで導い
た西村久蔵先生の役でした。私は最初ある読書会のメンバーに打診してみたのですが、種々
の理由から断られてしまい、他に適当な人を探さなければならなくなってしまったのです。そこ
で、このためにさらに祈ってみたところ、しばらく前から読書会に集い始めたある方が私の脳
裏に浮かんで来たのです。
 その方に尋ねてみたところOKをいただき、ほっと一安心したのですが、最初の読み合わせ
に参加したその方の様子を見て、私の安心は瞬く間に強度の不安へと変わってしまいました。
セリフを読むのが、まさに棒読みなのです。こんな状態ではある程度練習をしたところでどうし
ようもないと
私は思ってしまったのでした。「主よ。あなたが示して下さったことが間違いだったのでしょう
か。それとも、私があなたの示しを間違って受け止めてしまったのでしょうか。」私は心の中で
主に祈らずにはいられませんでした。
 しかし、他のキャストはその方を導くことを諦めませんでした。演劇経験のあるキャストが一
生懸命彼を指導し続けたのです。私は依然として彼がものになるようになるのは無理ではない
かと思っていましたが、しばらくたってから、おそらく公演1ヶ月前頃だったかと思いますが、久
しぶりに練習場で顔を合わせた彼の演技とセリフに私はまさに度肝を抜かれるような衝撃を覚
えたのです。「これは行ける!」そう太鼓判を押せる程の上達ぶりでした。最初に練習に来た
頃の彼とは全く違う彼がそこにいるかのようでした。
 そして、神様は強力な助っ人を途中(翌2003年1月)から加えて下さいました。かつて演劇
を専門に学ぶ学校にも行ったことのある人で、その人は私達の演劇のために音響や舞台装
置について適切なアドバイスをして下さったのです。その人はインターネットで演劇についてい
ろいろと検索していて、読書会の演劇部員募集の案内をたまたま見つけて連絡して来て下さっ
たのですが、主の不思議な導きと備えに改めて驚かされる思いでした。
 こうしてすべての必要が備えられ、練習も1、2月と積み重ねられて、いよいよ公演当日を迎
えることになるのですが、この当日予想外の大波乱が起こったのです。

 

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