「同労者」第62号(2004年12月)     わかふうふわかもんに進む  目次に戻る
                                              教会通信に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (51) −
         D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 


キリストが神であることの聖書からの証拠

 私たちのキリストは生きておられます。多くの人々はキリストが墓からよみがえられたことを
見出していません。彼らは「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私には
わからないのです」(ヨハネ20:13)と言ったマリヤのように死んだ救い主を拝しているのです。そ
れがキリストが神であられることを疑う人々の問題点なのです。
 マタイ18章20節を見てみましょう。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所に
は、わたしもその中にいるからです」とあります。さてもし彼がただの人であるとしたらどうやっ
て「その中にいる」ことが出来るのでしょう。これらすべては力強い御言葉です。
 さらにマタイ28章18節には「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天に
おいても、地においても、いっさいの権威が与えられています』」ただの人であるとしたらこのよ
うに話すことが出来るでしょうか。主は「わたしには天においても、地においても、いっさいの権
威が与えられています」と言われたのです。そしてマタイ28章20節には「また、わたしがあな
たがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終
わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」とあります。もし彼がただの人であったならどうや
って私たちとともにいることが出来るのでしょうか。しかし彼は言われたのです「わたしは、世の
終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」と。
 さらにマルコ2章7節から9節には「『この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしてい
るのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。』彼らが心の中でこのように理屈
を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。『なぜ、あなたがた
は心の中でそんな理屈を言っているのか。中風の人に、「あなたの罪は赦された。」と言うの
と、「起きて、寝床をたたんで歩け。」と言うのと、どちらがやさしいか』」とあります。
 「エリシャも死人を生き返らせたではないか」と言う人々もいるでしょう。この人間が死人をよ
みがえらせた稀な例では彼らは神の力によってそのことを成したことに注目してください。彼ら
はそれをするために神に祈ったのです。しかしキリストが地上におられたとき、死人をよみがえ
らせるために御父に祈ることをしませんでした。ヤイロの家に行かれたとき主は言われました
「少女よ。あなたに言う。起きなさい」(マルコ5:41)。
 主はいのちを与える力を持っておられました。ナインという町の外へ若者の亡骸が担ぎ出さ
れようとしていたとき、主はやもめである母親を見てかわいそうに思われ棺に手を掛けて言わ
れました「青年よ。あなたに言う、起きなさい」(ルカ7:14)。
 主が語りかけられると死人は起き上がったのです。
 ラザロをよみがえらせなさったたとき、主は大声で「ラザロよ。出て来なさい」(ヨハネ11:43)と叫
ばれました。ラザロは聞いて出て来たのです。
 ある人は「ラザロが名指しで呼ばれてよかった。さもないとキリストの御声を聞いたすべての
死人がたちまちよみがえってしまっただろう」と言ったそうです。
 ヨハネ5章25節でキリストは「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の
声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです」と言われました。キリス
トが神でなかったなら何という冒涜であったでしょう。しかし神の言葉をじっくりと調べるならキリ
ストが神であられる証拠は圧倒的に見つかるのです。
 

 

わかふうふわかもんに進む   信仰良書に戻る   目次に戻る   トップに戻る