「同労者」第63号(2005年1月) 三浦綾子読書会に進む  目次に戻る  信仰良書に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
6.イエス・キリストの祈り
6.2 イエス・キリストの祈りの時刻(つづき)
(7) イエス・キリストは疲れた時にも祈られた。
「そこでイエスは彼らに、『さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。』と
言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼ら
は、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。ところが、多くの人々が、彼らの出て行く
のを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしま
った。イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいな
い羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。そのうち、もう時刻もおそくな
ったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくな
りました。・・』
・・それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。」(マルコ6:31〜
35、46)
 マルコの福音書6章46節によると、イエスが徹夜の祈りをなされたときの前日は、食する暇
もないほど、忙しい一日でした。そこで主は弟子たちを遠ざけて、暫くの間休もうとされました。
しかしイエスのそういうご要求も、必用も、たちまち破られて、相も変わらない多くの群衆が、彼
の足跡を追うのでした。そこでイエスは彼らに教えと癒しと食物を与えることによって、その一
日をすべて多忙の中に過ごされてしまいました。そしてそのようなご疲労の一日に次ぐものは
なんであったかというと、それは睡眠ではなく、祈りの夜でした。これによって私たちが学ばされ
ることは、私たちの消耗した労力を回復するには、睡眠によるよりも、更に一層有効な方法が
あるということです。人は非常に疲労を感じている時、容易に眠ることができない場合が少なく
ありません。そのような時に、私たちが寝床の中で、あちこち転々として貴重な時間を空費して
しまうよりも、先ず起きて、神に心を注ぎだして祈るならば、私たちの心は遙に多くの休息が与
えられます。それから再び寝床に入って眠りをとるならば恵まれた安眠が与えられるもので
す。
(8) イエスは大きな誘惑の来る以前に祈られた。
「それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。『わたし
があそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。』」(マタイ26:36)
「それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。いつもの場
所に着いたとき、イエスは彼らに、『誘惑に陥らないように祈っていなさい。』と言われた。そして
ご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。・・」
(ルカ22:39〜41)
 イエスはご自分に近づいてくる誘惑に対しては、祈りによって準備されました。その結果、彼
は常に誘惑に対して勝利を得られました。ところが弟子たちは、彼の忠告にもかかわらず、イ
エスの祈りの時でさえも、眠りに陥っていました。そのためイエスが立たれた時、彼らは倒れた
のです。その後、イエスは恐ろしいピラトの裁判の座に立ったとき、平然として、いや、犯すこと
のできない権威を持ってこれに応じ、かつカルバリの丘上に毅然として進まれたのも、彼がゲ
ッセマネの園で祈られた祈りによって、苦しみ悩んで誘惑と戦い、ついに勝利を得られた結果
であったというべきです。
(以下次号)

<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


三浦綾子読書会に進む   信仰良書に戻る   目次に戻る   トップに戻る