信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に あります。
回答例(作成者:野澤)
R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。
<イエス・キリストの品性>
6.イエス・キリストの祈り
6.2 イエス・キリストの祈りの時刻(つづき)
(9) イエス・キリストはご生涯の最後にも祈られた。
「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自
分でわからないのです。』・・・イエスは大声で叫んで、言われた。『父よ。わが霊を御手にゆだ ねます。』こう言って、息を引き取られた。」(ルカ23:34、46)
イエスの最後のことばは祈りであり、彼のご一生は祈りの一生でした。そして彼の一生は祈り
をもって適切な終わりを告げられたのでした。
6.3 イエス・キリストの祈りの場所
(1) イエス・キリストはただ一人離れて、山に祈りに行かれた。
「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひと
りでおられた。」(マタイ14:23)
「それから、群衆に別れ、祈るために、そこを去って山のほうに向かわれた。」(マルコ6:46)
「このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。」(ルカ6:12)
「そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知っ
て、ただひとり、また山に退かれた。」(ヨハネ6:15)
四つの福音書すべてに、イエス・キリストが山に祈りに行かれたことを記しています。そしてル
カの福音書22章39節には「いつものように」と記されていて、主が祈りに山に行かれることは 習慣であったことが教えられています。
ストーカー教授の言ったことばに「キリストはどこかの町にたどり疲れた時には、先ず第一に
山に最も近い道はどこにあるかということを考えられた。ちょうど、普通の旅行者などが、町に 入るとまず第一に、その町で最も有名な場所はどこであるか、最もよいホテルはどこであるか を尋ねるのと同じであった。」というのがありますが、山は人跡なく静かで、神に近づくのに最適 であったため、イエス・キリストは山に行かれたのでした。
(2) イエス・キリストは祈りのために寂しい場所に行かれた。
「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」
(マルコ1:35)
もちろん、私たちは多くの群衆の中にでも静かな場所を見いだしえることでしょうが、さらに文
字通りにキリストの模範にならって、人目を避け、人里の喧噪を離れて、ただ一人神と交わる ことが大切です。もし人声ひとつ聞こえることのない山に上って、独り静かに沈黙した星の光や 月の光に照らされつつ樹木の下にひざまづき、目を開いて専念、神の御顔を見上げ、神と共 に語ることを知らないならば、皆さんは神の子として必ず知っていなければならない言い尽くし がたい祝福を失っているのです。
6.4 キリストは誰と共に祈られたか
(1) イエス・キリストは独りで祈られた。
「群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひと
りでおられた。」(マタイ14:23)
(2) イエス・キリストは選ばれた数名の弟子と共に祈られた。
「これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈る
ために、山に登られた。」(ルカ9:28)
(3)イエス・キリストは使徒たち一同と共に祈られた。彼らは主の家族であった。
「さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言っ
た。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(ルカ11:1)
(以下次号)
<今月の質問>
来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。 ![]() |