D.L.ムーディー 著 仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳
第6章 悔い改めと償い 神は、・・・どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。(使徒17:30) 悔い改めは聖書の基本的な教理の一つです。けれどもそれは同時に多くの人がほとんど理 解していない真理の一つでもあると思います。今日人々は恐らく他のどんな教理よりも悔い改 めや新生、贖罪といった基本的な真理について迷いと無知の中にいます。幼い頃から私たち はそれらについて聞いているにもかかわらず、もし悔い改めの定義について訊ねられたら非 常に多くの人がとても奇妙で間違った考えを答えるでしょう。 人はいつ福音を受けるために備えられるか 人はその罪を悔い改め、それらに背を向けるところに来るまでは、福音を信じるために、あ るいはそれを受けるために備えられてはいません。バプテスマのヨハネがキリストにお会いす るまで、彼は一つの言葉「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)しか持ってい ませんでした。しかしもし彼が人々に神の小羊であられるキリストを指し示すことをせずに、同 じ言葉ばかりを繰り返し言っていたのなら、彼は多くを成し遂げることは出来なかったでしょう。 そしてキリストが来られた時も同じ荒野の叫びを始められました。「悔い改めなさい。天の御国 が近づいたから」(マタイ4:17)と。主は弟子たちをも同じメッセージ――人々が悔い改めるべき こと――を与えて送り出されました(マルコ6:12)。主が栄光をお受けになって後、聖霊がお降り になったペンテコステの日にペテロも同じ叫びを発しました「悔い改めなさい」と。あの時あの驚 くべき結実が与えられたのはこの――悔い改めて福音を信じなさい――という説教だったので す(使徒2:38−47)。そしてさらにパウロがアテネに行った時、彼もまた同じ叫びを語っている のです。「神は、・・・今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます」(使徒17:30) と。 |