「同労者」第65号(2005年3月)  三浦綾子を読むに進む 目次に戻る Q&Aルームに戻る

三浦綾子読書会

 三浦綾子読書会とは(10) − 
    東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 前回まで数回記した演劇部門のその後を書き記す前に、その他の部門についてもご紹介し
ておこうと思います。まず今回は演劇部門と同時に発足したコーラス部門についてです。
 演劇部門発足の話の中で触れましたが、コーラス部門発足の直接のきっかけは、劇団アドッ
クの公演「母」にコーラス部隊として出演したことでした。この時演劇とコーラスを三浦綾子読書
会でスタートさせるよう神様からの強い迫りを感じ、両部門の発足へと導かれたのでした。特
に、コーラス部門については、この時「母」の演劇に出演したメンバーがそのままそっくり参加し
ていただけたらというのが私の当初の希望でした。音楽大学を出てCDまで出しておられる方
などもおられ、このメンバーがベストメンバーだと思ったからです。
 しかし、私の願い通りに事は進みませんでした。とりわけ、そのメンバーの中でもリーダー的
な人達が種々の理由から不参加を表明され、コーラス部門も発足から多難なスタートとなって
しまったのです。
 そんな中でも幸いだったことは、「母」のコーラス部隊のまとめ役をして下さっていた方が、引
き続き読書会コーラス部門のコーディネーターとして奉仕して下さることになったことでした。彼
女は幅広い交友関係があり、抜けた人達の穴を見事に埋めて下さいました。新たに賛美の賜
物がある方々を呼び集めて下さったのです。
 また、重ねて幸いだったことは、練習場所が与えられたことでした。演劇部門の練習場所が
そのままコーラス部門の練習場所ともなったのですが、ここには備え付けのピアノがあり、その
上防音設計がなされていて問題なく練習することができたのです。この練習会場を提供して下
さった方は、コーラス部門の副コーディネーターとしていろいろとご奉仕して下さいました。
 こうして「道ありき」の演劇でコーラスを歌う人々が導かれ、練習も問題なく行うことができまし
た。私は今でも舞台の上でささげた賛美歌を忘れることができません。 

  主よみもとに 近づかん
  のぼる道は  十字架に
  ありともなど 悲しむべき
  主よみもとに 近づかん

 主の御心を行い、主のみともに近づこうとする時、確かにそこには十字架の苦しみが伴うも
のです。私はこの演劇、コーラス部門発足に際してこのことを体験させていただきました。しか
し、この賛美歌が教えているように、それは主のみもとに「のぼる道」であり、その道を決して悲
しむべきではないことを学ばせていただきました。その十字架の苦しみの中でこそ私達は主に
近づくことができるのです。ハレルヤ! 
  

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