「同労者」第65号(2005年3月) 三浦綾子読書会に進む  目次に戻る  信仰良書に戻る

Q&Aルーム


 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。

回答例(作成者:野澤)
 R.A.トーレイの「聖書の教え」に整理されている項目を引用して、イエス・キリストの品性につ
いての説明を続けます。

<イエス・キリストの品性> 
 6.4 キリストは誰と共に祈られたか(つづき)
(4) イエス・キリストは大いなる群衆の中でも祈られた。
「そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ
て、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配っ
た。」(マタイ14:19)
 マタイの福音書6章6節に「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そし
て、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見てお
られるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」とありますが、この事に従っている人たち
が、すべての祈りが閉ざされた密室においてなされなければならないと思うことは、キリストの
模範に倣うものであるとはいえせん。イエス・キリストは公衆の中でも祈られたからです。

 6.5 イエスは誰のために祈られたか
(1) イエス・キリストは紙のために、神の栄光のために祈られた。
「『父よ。御名の栄光を現わしてください。』そのとき、天から声が聞こえた。『わたしは栄光をす
でに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。』」(ヨハネ12:28)
 イエスはご自身の祈りのなかで、神の利益を求めるということを第一主眼とされました。彼が
弟子たちに教えられた主の祈り(マタイ6:9以下)には、まず開口一番に神の名の崇められること
を祈るということが示されています。
(2) イエス・キリストはご自身のためにも祈られた。
「イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あな
たの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」(ヨハネ17:1)
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大
きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
(ヘブル5:7)
 イエスの祈りがご自身のためになされた場合があったとしても、それは全く利己的祈りではあ
りませんでした。彼はご自身が栄化されることを祈り求めましたが、それは父なる神の栄光を
崇めることが出来るためでした。なおまた、彼は早期の死を免れることが出来るようにも祈ら
れました。けれども父なる神のみこころが完全に成就する範囲においてでした。

(3) イエス・キリストはご自身に属するすべてのもののために祈られた。
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えにな
ります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の
御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしない
からです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あ
なたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:16〜17)
「わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たち
のためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。・・わたしは、ただこの人々のためだ
けでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」(ヨハネ17:9、20)
 父なる神がイエスに授けられたものは、ことごとく彼のものであるという意味で、彼の祈りは
全くご自身のもののためであり、彼が祭司の長として、弁護する者として取りなしをなされた
人々のためです。
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリスト
はいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからで」(ヘブル7:25)
(以下次号)


<今月の質問>
 来月もイエス・キリストの品性について説明を継続します。説明について、疑問点がありまし
たらお知らせ下さい。また、これらを離れた質問も歓迎致します。


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