「同労者」第65号(2005年3月)              JSF&OBの部屋に進む 目次に戻る
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三浦綾子を読む
(10)

− 夕あり朝あり −
東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 前回は三浦綾子氏に大きな影響を与えた人物として「愛の鬼才」の主人公である西村久蔵
氏を紹介しましたが、今日は西村氏に負けず劣らず大きな影響を与えた「夕あり朝あり」の主
人公である五十嵐健治氏について書いてみようと思います。
 三浦綾子氏は自伝「道ありき」の中で、洗礼前に影響を受けた人物として前川正氏と西村久
蔵氏を挙げ、洗礼後に影響を受けた人物として三浦光世氏と五十嵐健治氏を挙げておられま
す。五十嵐氏はその生涯を通じて三浦綾子氏を励まし導き続けた偉大な人物でした。
 それと共に、五十嵐氏は「白洋舎」の創立者として一般の人々にもその名を残した人物でし
た。このようにクリスチャンとしても実業家としてもすぐれた人物であった五十嵐氏は、どのよう
にしてそのような人物となり得たのでしょうか。その答えはこの「夕あり朝あり」という書にありま
す。この書は五十嵐氏が一人語りをしている形式で書かれており、非常に楽しみながら読み通
すことができます。
 彼は8ヶ月で生母と別れ、5歳で養子となるような大変な家庭環境の中で育ちますが、16歳
で一攫千金を夢見て家を出、各地を放浪するようになります。そんな中で住吉屋旅館の主人で
あり、上毛孤児院の創立者である宮内文作氏に出会い、宮内氏の「貧しい者たちにも食事が
与えられるように」「親のない子をお守りください」という祈りに大きな衝撃を覚えます。 それか
ら、日清戦争と北海道でのタコ部屋生活を経て、彼は人生に絶望し、小樽の海で自殺を図りま
すが、死出の土産にと小樽の街を歩いてみたのがきっかけでクリスチャンである中島佐一郎
氏との出会いが与えられます。そして、この中島氏との信仰問答を通して五十嵐氏は主を信じ
受け入れ、洗礼を受けることになります。
 彼がクリスチャンになった後の変化は、クリスチャンとはどのような者であるのかがよく示され
ています。「ところが、洗礼を受けてから、私は朝起きると先ず神に祈りました。「今日の一日を
導いてください」と祈りました。何かあると神に相談した。「このことはなすべきでしょうか、なさざ
るべきでしょうか」と、祈るようになった。・・・まあ、大したことはできませんが、大きなことをする
より、小さくてもよい、目に立たなくてもよい、よき行いをしなければならない、と思うようになっ
た。本気で神の教えに従うということが、真の意味で人さまや社会のために益となるのではな
いかと、考えるようになった。」
 三浦綾子氏が追記に記した五十嵐氏の晩年の言葉、「何もかも忘れましたが、しかしキリス
トさまのことだけは、忘れてはおりません。」という言葉の中に、私達は五十嵐健治氏の偉大な
人物像の秘密を大いに学ぶ必要があるのではないでしょうか。
 
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