「同労者」第66号(2005年4月)
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前回は演劇部門と同時に発足したコーラス部門について記しましたが、今回はその後新たに
発足した朗読部門についてご紹介しようと思います。
朗読部門の発足は2003年の4月でしたが、その時まで2年近く行われた各地での読書会
で、私はある種の予想を抱いて読書会に参加する方々にお会いすることがありました。その 方々は私がリードしている読書会が朗読会、つまり三浦綾子さんの本を朗読する会だと思って 読書会に来られたのでした。私は朗読会のようなものを期待しておられる方々に接しながら、 そのような形で三浦文学に触れる働きをその後考えるようになったのですが、このことは確か に神様からの導きでした。
2003年1、2月の頃だと記憶していますが、東京読書会に出ておられる方から三浦綾子さ
んの「病めるときも」という作品の朗読CDが出されていることを教えていただいたのです。その 朗読者は中村啓子さんという方でしたが、私もこの方のことは以前聞いたことがありました。こ の方はNTTの時報の声で非常に有名な方であり、それと同時に熱心なクリスチャンであること を聞いていたのです。
この時この方が朗読部門の講師を引き受けて下さったらなら最高だと思ったのですが、幸い
にも同じく東京読書会に彼女と同じ教会の方が出席しておられたのです。そこで私がその方に 中村さんとの仲介をお願いしたところ、その方を通して中村さんとメールで朗読部門発足につ いて彼女と相談するよう導かれたのでした。メールでのやり取りの中で中村さんが朗読部門の 働きに前向きな考えを持っておられたことがわかったのですが、その後実際にどのように話を 詰めていったらよいのか私も思案に暮れていました。
そんな時すばらしい神様の御業が現されたのです。東京読書会の月曜の部を終えてクリス
チャンセンター隣のファミリーレストランで読書会参加者と一緒に昼食を取っていたのですが、 そこで話が中村啓子さんの話に及んだのです。すると読書会に参加していたある方が、「今日 ハーベストタイムという集会にきっと中村さんも出席しておられると思うので、もしかするとここ に昼食に来られるかもしれませんね。」と私に教えて下さり、レストラン内を見回し始めたので す。その時レストラン内には中村啓子さんはおられなかったのですが、しばらくしてある一人の 女性がレストランに入って来て、知り合いらしい人達の所に微笑みながら座られたのです。今 考えても本当に不思議なことなのですが、私は直感的に「この人が中村啓子さんだ!」とわか ったのです。神様が出会わせるべくして出会わせて下さった、そんなすてきな出会いをこの時 体験することができたのでした。 ![]() |