「同労者」第67号(2005年5月)
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「この人が中村啓子さんだ!」と直感的に思った私は、読書会メンバーで彼女を知っている
人に、「あの人が中村啓子さんではありませんか?」と早速尋ねてみました。すると、目が悪い その人は一生懸命目を凝らしながら、「90パーセントそうだと思います。」と答えられたので、 その人に彼女に声を掛けて来てほしいと私は頼みました。しかし、彼女はそれはできないと言 うので、仕方なく私は彼女に付き添いをお願いし、私が思い切ってその中村さんらしい女性に 直接声を掛けてみることにしました。
そのテーブルの近くに来た時、その女性は私の方をゆっくりと見上げたので、私はこの時と
ばかり自己紹介の言葉を切り出しました。「私は三浦綾子読書会代表の長谷川ですが、中村 啓子さんでいらっしゃいますか?」彼女は驚いた様子の中にも優しい笑顔を浮かべながら、 「はい、そうです。どうして私をおわかりになったのですか。」と私に答えて下さったのです。
この前日にもちょうどメールをやり取りしていた私達は、神様の奇しい御業を共にほめたたえ
させていただきました。そこでは今後朗読部門のスタートに向けて少しずつ準備をして行くこと をお互いに確認し合ったのですが、主のご計画は私達の思いをはるかに越えていたのです。
その翌日、あるキリスト教系の新聞社から演劇部門の「道ありき」公演の新聞記事掲載につ
いて連絡があったのですが、それはそこに何か三浦綾子読書会の広告を一緒に載せてほしい という趣旨の連絡でした。そこで、同じページにはどういう記事が掲載予定であるかを尋ねる と、何と中村啓子さんのCD「病めるときも」についての記事が一緒に掲載されることがわかっ たのです。私はその時強烈に神様の導きを感じました。「これはすぐにでも朗読部門をスタート させなければならない。」私はそう思い、中村さんに早速その晩メールを書き送ったのです。
私のメールに対して、中村さんもすぐさま返事を送って来て下さいました。彼女も私のメール
を読み、すぐにスタートすることが神様の御心であることを確信されたとのことで、その翌月か らすぐに朗読部門をスタートさせることをご了解下さいました。
こうしてその新聞に広告を出したり、従来の読書会メンバーに朗読部門発足のお知らせを出
したりして、2003年4月から朗読部門は正式にスタートすることになったのです。
4月18日(金)に第1回目の朗読部門の集会がお茶の水クリスチャンセンターで行われ、当
日は宣伝不足であったにもかかわらず5名の出席者が与えられました。課題図書「病めるとき も」の中村さんの美しい朗読をうかがいながら、主のすばらしい御名をあがめずにはいられま せんでした。 ![]() |