「同労者」第67号(2005年5月)              JSF&OBの部屋に進む 目次に戻る
                                        三浦綾子読書会に戻る

三浦綾子を読む
(12)

− 積木の箱 −
東京ミレニアム・チャーチ 牧師  長谷川 与志充
 
 今回は三浦綾子氏の4番目の作品である「積木の箱」をご紹介したいと思います。
この書は三浦綾子氏の代表作である「塩狩峠」や「道ありき」と平行して書かれた作品で、これ
らと同様すぐれた作品と評価されてしかるべきでしょう。
 この作品は「氷点」「ひつじが丘」以上にはっきりとした罪ある人々を描いており、真面目な読
者であれば目を覆いたくなるような場面も登場して来ます。この作品は人間の醜さを徹底的に
描いた、三浦文学のいわゆる「ドロドロ系」作品の元祖とも言えるものです。「どうしてこのよう
な作品が書かれなければならないのか?」とかつては私も疑問に思っていましたが、今では三
浦綾子氏がこうした作品を数多く書き残して下さったことに感謝せずにはいられない思いでい
っぱいです。
 なぜなら、三浦文学のベースとなっている聖書を思い起こしてみるならば、そこにはきれいで
立派な教えだけではなく、いやそれ以上に人間の様々な罪深い状態が描かれているのを見い
出すことができるからです。三浦文学は「塩狩峠」等を通して福音を語っている聖書的文学で
あると同時に、この「積木の箱」等を通してどうしようもない人間の罪深さ、醜さをはっきりと示し
ている聖書的文学なのです。
 さて、この書のタイトルである「積木の箱」には、三浦綾子氏のこの書に寄せるメッセージが
凝縮されています。そのことをよく表しているのは、作品のほとんど終わりに書かれている以下
の文章です。
「いくら教師が、全員まじめに生徒を導こうとしたところで、家庭が動揺していてはどうにもしよう
がない。積木細工のように、がらがらと、すぐに崩れてしまうのだ。小さな崩れなら、ある程度
教育で防ぐこともできるだろう。しかし、人間の心の奥底から、なだれるように崩れ落ちてくるも
のを、果して教育だけでくいとめることができるだろうか。できるわけはないと悠二は思った。」
 戦前に教師であった三浦綾子氏は、戦後の日本の問題点を家庭の中にはっきりと見い出し
ています。問題のあり過ぎる家庭の子供には、学校教育でそれを覆す程のものを与えることが
できない、これがこの作品が語っている大切なメッセージです。
 しかし、この書の感動的なラストシーンにはもう一つのメッセージがあります。それは、上記の
ような人間をも変えるものがあるというメッセージです。それは和夫という少年のやけどをした
右手に象徴されている主イエス・キリストの御手です。この御手に触れられた時、私達の傷つ
いた心はいやされ、屈折した心は素直な心へと変えられるのです。罪を犯した一郎という人物
が「おれだ!おれが火をつけたんだ!」と絶叫しながら走り続ける最後の場面は、主の救いの
偉大さをまさに絶叫的に私達に語っているのではないでしょうか。


 
JSF&OBの部屋に進む   三浦綾子読書会に戻る   目次に戻る   トップに戻る