「同労者」第67号(2005年5月)      Q&Aに進む  目次に戻る  読者の広場に戻る

わかふうふわかもん

 「黙って待ち望む信仰」
仙台聖泉キリスト教会  山田 行
 
 とても美しい季節が、やってきました。
 4月は私の誕生の季節です。 記念すべき?40歳になりました。(自称35歳ですので、よろ
しくお願いします。笑)両親が仙台教会に赴任して最初の年に私が生まれましたので、ここまで
仙台教会の皆さんの中で育てていただいたと言っても過言ではありません。両親の仙台での
牧会も、今年から兄が主牧になりましたので両親はその大きな責任をひとまず全うさせて頂き
娘としても本当に感謝しました。40年が短いか長いかは私には分かりませんが、神様が、両
親の伝道者生涯を受け入れ続けてくださった幸いを見ることができました。また、教会の方た
ちの大きな祈りと支えも途切れることなくあり続けたことに本当に感謝しています。
 4月の母の伝道メッセージの中で、「教会の経済は神聖な場所であって、そこには、神のくす
しい業が成された所であったことが語られました。不思議な助けと人ごとではない神の働きが
そこにありました。両親は、教会以外で働きをして収入を得たことが無く、教会の献金のみで、
私達子供3人を養い育てました。また会堂建築もありました。もちろんこれは、結果だけを見れ
ば最高の伝道者人生であり教会の信者さんにも感謝なのではありますが、いつも潤っている
わけではないし不安を持たないときは無かったと思います。それは現実の母の大きな責任と信
仰の戦いの場だったと思います。しかし母は教会会計を父が知ったらメッセージや牧会に影響
が出てはいけないと、ずっと伝えずに来たというのです。「少しはあなたも教会の経済のための
働きをしてください」と言えたらどんなに楽であったろうと思いますが・・神聖な場所を大切にす
る、待ち望み続ける姿勢をとり続けたというのでした。私は、このことを聞いて、隣人を愛すると
いうのは、このような行為もあるということに気がつきました。夫婦だからこそ甘えて何でも受け
入れてもらうというのではないのです。それぞれ神様に与えられた責任と信仰を全うするため
にも、このような戦いはあるということでした。
 私自身も小さいながら責任を与えられ、問題、課題も持ちます。その中で、もがいたり右往左
往したり、時にはすべて誰かのせいにしたくなったり、逃げ出したくなったり未だにそんな自分
の弱さに涙するしかない時もあります。しかし、両親の姿を見るたびに、証を聞くたびに、どん
な時でも神様は生きて働いてくださっていることと、このような者も愛し続けてくださること、へり
くだって、本当に神様を畏れる者を見放しはしないという確信が与えられました。
私も「初老の第一歩 」(笑)を踏み出したのですが、神様が与えてくださったこの一回しかない
人生をこれからもドキドキ待ち望みながら歩みたいと思います。
   

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