「同労者」第68号(2005年6月)  
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JSF&OBの部屋

 祈祷会の席に座るまで 〜ある社会人の挑戦〜
仙台聖泉キリスト教会   石井 和幸

「するとサムエルは言った。『主は、主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他の
いけにえを喜ばれるだろうか。』」(サムエル記T15:22)
 

 …言っておくが、私はこのテーマにて文章を書きたくはない。しかし、このコーナーを担当して
いる以上、各号におけるこのコーナーの話題のバランス、状況等をみながら、いつかはまな板
の鯉にならねばならない時も出てくるだろうとは思っていた。今回、丁度野球でいえばローテー
ションの谷間みたいな状況になったので、率直に証しさせて頂こうと思う。

 私は今年で就職して丸8年になる。工場事務として6年、営業マンとして2年、ここまで主の導
きと多くの祈りに支えられたことを大変感謝している。 週一回夜の祈祷会については、特に、
私の教会は礼拝、伝道会、祈祷会の出席者平均がほぼ同じという教会なので、いかに祈祷会
が大事であるかを教えられつつ、私も教会生活を過ごしてきた。にもかかわらず私の就職1年
目の祈祷会に対する意識は、「必死で仕事を覚えようとしているのだから、出席できなくても仕
方がない」という意識になってしまった。現に、仕事は毎日夜9時10時までかかり、それが終
わらないと明日の仕事に進めないという状況が続き、私は生まれて初めて1ヶ月祈祷会をまる
まる休んでしまった。そんな中、牧師である山本嘉納先生から、「遅くなってもいいから教会に
来なさい。僕は祈って待っているからね」伝道師の盡子先生からも「祈祷会に顔を見せに来て
ください」とお言葉を頂いた。そして、遅くに教会堂の席で嘉納先生とお祈りする時に、何の言
葉も出ずただ涙だけがボロボロこぼれる時もあった。
 その後、年を重ね、仕事も順調に覚えることができ、祈祷会にも休まず参加できるようになっ
た。しかし、自分の祈祷会に対する意識は、「最後のプログラムまでにまにあえばいい」 私は
最近までこういう意識を持っていた。これは、祈祷会に対する、というより、神様に対する私の
愚かな態度であった。それは、他の教会生活の中でも何かしらそういう軽率な態度は表面化
し、先生から注意を受けたり、他の人に迷惑をかけてしまったりもした。いかに自分の心が世
的なものにさらされているか、それに自分で対抗するには弱いものであるかを痛感した。(今も
痛感する。)何よりも、祈祷会に出席することによる、神様の前での祈りと交わりの大切さ、そ
の価値を下げてはいけないことを示されている。
  さて、私が祈祷会に出るための戦いは、大きく分けて3つある。
1.緊急な仕事(クレーム処理など)
  前の職場で、私は工程管理と出荷部門の責任を負っていたが、今日積込予定のトラックが
手配されていなかったり、短納期の製品を仕上るためにトラックを夜遅くまで待たせたり、とい
うことがあった。それは、自分の手配・管理ミスだったり、他の人のミスだったり、はたまたお客
さんのミスによるしわ寄せだったりするのだが、責任を果たすために、仕事の場を離れるわけ
にはいかない時があった。 (勿論、ミスを無くし仕事のロスを作らないのは社会人として当然の
課題だ)
2.他の人と共同でやる仕事(現場、会議など)
私の場合は、会議で夜の時間を使うことがある。これは上司のペースで事が進むのでどうしよ
うもないと言えばそうなのだが、例えば自分の資料を分かり易く事前に整理するとか、自分で
できる努力はする。ただ、「早く帰りたい」素振りをすると上司の反感を買うので、そのへんは
工夫が必要だ。 前の職場で、上司が出張中の時に、何回か会議の司会をしたことがあった。
大抵会議は木曜日だったので、とにかく早くおわらせるような議事の進行をした。けれども、実
はそれが好評だったりした。「石井君、今日はいつもみたいなダラダラ会議じゃなくて良かった
よ」と言われたりもした。  
3.明日のことを考えてしまう残業
私の教会で祈祷会がある木曜日はとにかく忙しい。週末になると、私のようなステンレスを売る
仕事は、来週の仕事のための注文が多く入り、納品も多い。金曜日の午前中も忙しい。当然
のことながら木曜日は夕方帰社してからも山ほど仕事が残っている。もしここで仕事をやめて
お先しまーす。何てことしたら、明日はパニック… けれども、私は幸い会社のカギを持って
いる。だから思いきって、金曜日の早朝会社に来て仕事をすることにしている。それでも追い
つかない時は、祈祷会が終わって10時頃から仕事をするが、
その時は大抵11時頃警備会社から「今日は何時頃お帰りですか」と電話がかかってくる。最初
は警備会社の人も私の存在にびっくりしていたようだが、今では少し仲良くなった。 また、帰る
時の上司や同僚の目も気になるのだが、幸い私の会社は、サッカー日本代表の試合がある
水曜日などは皆こぞって早く帰りだす。だから私が早くあがるのも一応理由は成り立つ。(サッ
カーと教会を一緒にするという意味ではないのだが…) 

…長くなってしまったが、私よりも忙しく、また私よりも出張などが多くて祈祷会を守れない兄弟
姉妹は多くいるだろうし、私は比較的良い環境だと思う。それでこそ、なかなか祈祷会の最初
からというのは難しいのだが戦いつづけていこうと思う。今では上司や同僚からも「石井君は今
日これだもんな(お祓いのポーズ)」「いやそれは宗教違います」といった会話が交わせるように
なった。(これは同時に、早くあがらないと証しにならないことを意味する。)
 許される限り、神様に近づくものであらねばと取り組んでいる。
 


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