同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

1997.9 仙台聖泉キリスト教会にて
— 荒川教会 遠藤兄姉 —

 1997年9月に荒川教会の遠藤兄姉が、森田兄が交通事故で怪我をした際に、見舞いのため仙台に見えた時話して下さったお証詞に大変感動しました。メモをもとにもう一度ご紹介したいと思います。

遠藤姉の証詞
 私は東京に生まれ育ちましたが、千葉県の四日市に疎開していた時、母は下の妹が、まだおっぱいをもらっていた、2歳の時に亡くなりました。それで女学校を止めて兄弟達の面倒を見なければならなくなりました。全ての事を仕方がないからやるというようになりました。
 ある時父がポケット聖書連盟のヨハネ伝の分冊を貰ってきました。国技館で集会があると聞いてでかけました。会場に人が溢れていましたが、裏口を知っていたのでそこから入り、前列に座りました。
 そこで"神様が居られる"ことを知りました。続いて志道者会に出ました。山本岩次郎先生に導かれ荒川教会に来るようにと言われ行くようになりました。その年の十二月に洗礼を受けさせて頂きました。翌年の十一月に三日間の志道者会が公民館でありました。「私のためにイエス様が死んでくださった。」ということが分かりませんでした。暗い中でエレベータに乗ったまま落ちていくようで、逃げたいと思いましたが、逃げることはできませんでした。そのとき真っ暗な中に落ちていく以外ない自分のためにイエス様が死んで下さったことを悟ることができました。このような者・・自分勝手で、頑固で・・のために死んで下さった主に感謝しました。
 家に帰って皆に謝りました。おばあちゃんにも兄弟達にも。
 そうしたらものの見方が変えられました。仕方なく事を行う人生、落ち込んだ思いの人生から、喜んで生きる人生に変えて頂きました。嬉しくて仕方ありませんでした。何を行っても神様が見ていらっしゃると思えました。
 兄弟も姉夫婦を除き全部夫婦ともに救われ、受洗しました。おばあちゃんも父も亡くなるときは、山本先生にに看取って頂くことができました。これ以上ない親孝行ができたと感謝しております。
遠藤兄の証詞
 仙台教会では二回目の証詞です。一回目は未だ木造の教会の時でした。たしか協力伝道のときだったと思います。竹達さんと来たときでした。
 私は昭和三十二年に救われました。私の勤めていた会社の息子さんが荒川教会に行っていたので誘われて、ついていきました。十九歳の時でした。まだ十分は分かりませんでしたが、洗礼を受けました。山本先生は伝道会では面白く、終いには踊りだしたりしました。そのため、伝道会が楽しみでした。先輩諸兄の救いの証詞をすばらしいと思いました。
 私は山の中育ちで、あまり悪いことをするような環境ではありませんでした。集団就職で、町工場に就職しにやってきました。それで、前述のように誘われて荒川教会に行きました。ヨハネの手紙第一、一章九節からの山本先生の説教で自分は罪人であると分かりました。親のもとからお金を盗ったことを思いだし、これが罪だと示され、親に手紙を書いて謝りました。そして
救いに与かりました。
 その後荒川教会において育てて頂きました。私の友である後藤兄を仙台教会の山本先生、石井兄、野澤兄が訪問して下さったことに感謝しました。一つの区切りでありました。荒川教会の人たちも年をとりました。私は定年がなく、仕事をさせて頂いて感謝です。四年前の事故ですこししびれることがありますが、こうして出歩き、仙台にも訪れることができて感謝です。森田心兄の事故に驚き心配しましたが、回復に感謝です。
(荒川聖泉キリスト教会員)