聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会 1996.2.27 から
ローマ人への手紙(1)
野澤 睦雄
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
(ローマ1:16)
マルコは、イエスの伝記の書き出しに、"神の子イエス・キリストの「福音」のはじめ。"(マルコ1:1)と記しました。私たちのために、神が備えて下さったものを総称して「福音」と呼びます。
"神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ"(ローマ1:1)とローマ人への手紙を書きはじめたパウロは、ここに福音を大系的に整理して解説しました。このような書は、聖書の他の箇所にはありません。
なぜパウロは、このように全体をきちんとまとめて書き送ったのでしょうか。その理由は、他の教会には面談、説教等をもって、つまり会話をもって教えることができたため、全体を書面にする必要がありませんでしたが、ローマの人々には、直接語ることができなかったので、漏れなく書いて送ったのだと考えられます。
聖書を編集した人々が、ためらうことなくキリスト伝ならびに教会の誕生と発展の歴史の記録のすぐ後にこの書を入れたことは当然と思えます。
ルターに救いの経験を与えたのはこの書でした。ウェスレーに救いの経験を与えたのもこの書であると言っても過言ではありません。私たちもこの書を学び、「神の福音」(ローマ1:1)「御子の福音」(ローマ1:9)「御霊の賜物」(ローマ1:11)に与りたいと思います。
これは"信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。"(ローマ1:16)から。そして、私たちもまた"信仰に生きる義人"(ローマ1:17)であらせて頂きたいものです。
- <ローマ人への手紙の構成>
- ローマ人への手紙は次のような部分で構成されています。
- 緒言(挨拶) 1:1~17
- 救いの教理に関する解説 1:18~5:21
- 聖潔の教理に関する解説 6:1~8:39
- 結実の教理に関する解説 9:1~15:13
- 結語 15:14~16:27
この考えに立つとき、第二の部分が「潔められること」ですから、第三の部分は「潔められた後、どのようになるのか、何をすればよいのか」が記述されているに違いないと考えられます。言い換えれば、第二は「聖霊を受けること」ですから、第三は「聖霊の実を結ぶこと」が主題であるとすることが自然です。ローマ人への手紙八章の終わりまでは、ひとりの人間の「救い」と「潔め」が中心であり、「神と私」だけの関係を連想させますが、9:1~15:13をよくよく読んでみて感じることは、神様だけでなく周りに他の人がいることです。私たちは神と私だけの関係では聖霊の実を結ぶことはできず、「神、私、隣人」の三者の関係の中においてはじめてそれを結ぶことができることを意味しています。
パウロがイスラエルを取り上げたのは、結実の教理の導入として実例を示すためでした。彼はイスラエルを、民族としても「神の国があなたがた(イスラエル、実を結ばない国民)から取り上げられ、実を結ぶ国民に与えられる」(マタイ21:43)、個人としても「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き…なさいます。」(ヨハネ15:2)の実例として引用したのです。ですから「枝が折られる」(ローマ11:19)との表現がなされています。パウロにとって、イスラエルの背信はあまりにも辛いことであったので、このような長い文章を用いて彼の心情の吐露と、その
理由の解説ならびに彼の希望であるやがてイスラエルの背信は癒されて、異邦人のキリスト者と一つの群となることを語ったのです。 - <ローマ人の手紙が書かれた場所>
- ローマ人への手紙が書かれた場所は以下の理由で、コリントであったと判断されています。
- ローマ人への手紙を書いた時、パウロはガイオという人の家にいた。(ローマ 16:23) コリントの教会にガイオという人がおり、(コリントⅠ 1:14)、この人と同一人物と思われる。(ただし、使徒19:29、20:4の二人と同一かは不明です。)
- 市の収入役エラスト…にもよろしくといっています(ローマ16:23)が、長く同一の市に勤めなければ、収入役になるとは思われません。テモテへの手紙に、"エラストはコリント留まった。"(テモテⅡ 4:20)と、書いてありますからエラストもコリントに長くいた人と考えられます。
- 手紙はケンクレアの教会の女執事フィベという人に託されましたが、ケンクレアというのはコリントの港でした。
- <ローマ人の手紙が書かれた年代>
- ローマ人の手紙の書かれた年代は、AD58年頃と思われます。
パウロが手紙を書いた時は、マケドニヤとアカヤの教会から献金を集め、エルサレムの貧しい聖徒達のためにエルサレムへ行く直前でした。(ローマ15:25~16)
パウロはエルサレムに行った後、ローマに行き、次にスペインにまで行こうと思っていました。(ローマ15:23~24)
パウロは第三次伝道旅行でエペソに二年間いた(使徒19:10)あと、マケドニヤとアカヤを通ってから、エルサレムに行くことにしていました。(使徒19:21) アカヤの首都がコリントですから、この時期と一致しているものと思われます。パウロは、エペソからマケドニヤに出かけましたが、途中ギリシャに三ヶ月いました。(使徒20:3)
この後、彼はどんどん進んで、ミレトでエペソの教会の長老達に別れの説教をし(使徒20:17~35)、パタラに行ってフェニキヤ行きの船に乗っているので、ギリシャに三ヶ月いた間に書いたことになります。 - <筆記者>
- ローマ人への手紙は、パウロの自筆ではなく、テルテオという人が筆記したものです。(ローマ16:22)
- 緒言(挨拶)(ローマ1:1~17)
緒言(挨拶)の部分には、手紙の全体像が把握できるように、以下の項目が書かれています。
- 挨拶 1:1、7~8
- 書いた理由、目的 1:9~15
- 取り扱う主題とその要旨 1:2~4、16~17
- 結論部分の要旨、など 1:5
パウロの視野にあったものを列挙すると、次のような事柄が挙げられます。
- 福音 … イエス・キリストに関すること(1:3)
- 自分がその使徒すなわちその宣伝者に任命されていること(1:5)
- 福音宣教の対象 … ギリシャ人と未開人(1:14)、知識を有する人と知識を有しない人(1:14)、ローマ人とユダヤ人(1:14)
緒言部分の締め括り(ローマ1:16~17)としてパウロは以下の諸点を述べています。
- 福音は … 信じるすべての人に救いを得させる神の力であること(1:16)
- 福音のうちに … 神の義が啓示されていること(1:17)
- その(福音に啓示された)義は … 信仰によってはじまること(1:17)
- その(福音に啓示された)義は … 信仰に進ませること(1:17)
- 緒言(挨拶)(ローマ1:1~17)
- <今回の学びの結び>
- 福音が私たちのうちにもたらすもの、それは「信仰の従順」(ローマ1:5)です。文語聖書では、この箇所が「信じ、従う」と、分かりやすく訳されています。神はご自身に従う者に聖霊を与えて(使徒5:32)福音に生きることをさせて下さるのです。
(仙台聖泉キリスト教会員)