同労者

キリスト教—信徒の志す—

証詞

1999.10.3 仙台聖泉キリスト教会にて
— 仙台聖泉キリスト教会 玉城憲一兄 —

  10月3日の聖日には、午後2時から「昼の伝道会」が持たれ、玉城兄が証詞しました。今回も、本人が書いたものでなく、口述したもののメモをもとに文にしてご紹介します。

玉城兄の証詞
 私が救いの恵みに与りましたのは、昭和41年6月16日で、ちょうど20歳の時でした。子供がもう成人式を終わって2年ほどですから、この位の歳だったのだなァと思います。30年程経ったわけです。
 その時から、神様は私の親、また牧場では飼い主と羊の関係になって下さいました。親になると、子供のことを様々と考えます。神様も私のことを考えて下さるにちがいないと思います。
 一方、私はどんな親から生まれたのか、と考えます。母親は一見普通の人に見えますが、よく見ると精神的に弱い人で、結婚するつもりはありませんでした。そして姉(私の伯母に当たる)に世話になり、炊事などの下働きをしながら同居人になっていました。
 父親は当時結婚していましたが子供が出来ませんでした。それで何としても子供が欲しくて、外にいわゆる2号、3号と呼ばれる女をつくりました。全体に戦争で気が荒れている世情の時でした。そして2号さんには女の子、3号となったのは私の母でしたが、そこに私が生まれました。
 当時戦争のため、台湾に租界していました。日本に戻って来ようとしましたが、沖縄は戦争で荒れ果てていましたので、そこへは行かず、本土に戻ってきました。はじめ関西に行き、それから仙台に移りました。
 私たち母子は沖縄におり、親戚の助けで何とか生活をしていました。母は周囲から助けられは致しましたが、心が満たされませんでした。それでいつかオヤジのところに行くと言っていました。そして本土に渡り、オヤジとの生活が始まりました。
 当時私の人生観は周囲の人に及びませんでした。中学を卒業するとき親戚の人から、「お前。何になりたいのか。」と問われましたが、なりたいものは何もありませんでした。ただ、人に助けられなくても生きていけるようになりたかったのでした。
 親とはどういうもの、子供とはどういうものか分からない中で生活して来たので、自分の人生観など定かでありませんでした。
 それで、何か趣味を持ってみようと思いました。周囲の人がバイクの免許をとったとか、といったことをしているのを見るにつけ、自分も何か得ようと思いました。そして、それが幸福なのだろうと思いました。
 オヤジは大工でしたので、大工の見習いになりました。昼は大工の見習いをしましたが、いつまでも下っ端の仕事しか与えられず、このままで俺の人生は大丈夫なのだろうかと思い始めました。"どうせダメ人生なら、自分のやりたいことをすれば納得がいくのではないか。"と考え、オヤジの処を出て東京に行きました。そして、荒川に近い墨田区にいました。何か自分にプラスになることをしようと思いました。それで、空手を習いに行きました。
 そのうちに、沖縄でも1回だけ教会に行ったことがありましたが、深川教会という教会があることを知って、そこに通うようになりました。
 聖書を初めて開いたとき、「はじめに、神天地を造り給えり。」とありました。そのことばに接したとき、神がおられ、人間は造られたものだと分かりました。そして、"自分の人生をどうしていったら幸福なのか。"と、自分に一所懸命に言い聞かせながらやってきましたが、それが違っていると分かりました。私が造られたものなのに、神様を計算に入れた人生をやっていなかった、と分かりました。
 私のような人間でもその中で生きていける教会という場所があるのだナと分かりました。
 伝道会に通い続けているうちに、信者の人に、祈祷会にも礼拝にも来なさいと言われ、祈祷会に行きました。集会の後、先生にいろいろ聞かれました。その中で「本土に一人できました。」と、いい加減な答えをしました。本当は家族と一緒でした。しかし後で、"自分はいい加減なことを言った。"と、心に責めを覚えました。
 それで、先生の所にいって、「先日はいい加減なことを言いましたが、本当はこうだったのです。」と、本当のことを話しました。
 すると先生は、「あなたは救われたいと思いませんか。」と、言いました。救われるとはどういうことかよく分かりませんでしたが、信仰していく決心をしました。そして先生に導かれるままお祈りをしました。先生は、ヨハネの手紙第一1章9節を示されて、「あなたは救われました。」と言われました。
 その後間もなく仙台に戻ることにしました。
 仙台教会に行ったら、若い人々がたくさんいて、その人達の持っているものに惹かれました。それで、あの人達のようになりたいと思いました。そして、一緒に育まれて今に至りました。
 幸いな結婚も与えられ、子供も二人与えられて感謝です。
 子供がもう私が救われた歳になりました。神様に変えられた人生を送らせて頂いて感謝です。なお引き続き、この教会で信仰生活をさせて頂きたいと願っています。
(仙台聖泉キリスト教会員)