同労者

キリスト教—信徒の志す—

巻頭言

— 信徒会誌「同労者」発行によせて —

吉田 浅

 まだ信徒会(仮称)がスタートしておりませんが、信徒会誌(同労者)発行までこぎつける事ができ関係者の方々の奉仕と祈りを感謝する次第です。
 日々仕事に追われている者ですが、信徒会(仮称)の交わりを通して、各人の信仰が建て上げられいくなら幸いと思います。
 機関誌名は「同労者」となりましたが、同労者の「労」とは「労苦」という意味であり、辞書によると"仕事にからだや精神を酷使する事。骨折り。"とあります。
 私たちはイエス様に召され福音をのべ伝えるために選ばれた一人びとりです。イエス様と共に十字架を負って、日々信仰によって歩む一人びとりでもあります。C.スポルジョンという伝道者は、その著書で次のように言っています。

 "「自分の十字架を負って、わたしに従ってきなさい。」(ルカ9:23)「あなたは手製の十字架を作るのではない。不信者は己が手で巧みに十字架を作る。我意は自分が主となり支配者になろうとするがあなたは自分の十字架を選ぶこともゆるされていない。あなたの十字架は神の愛によってすでに用意され、定められており、あなたは喜んでそれを受けねばならない。あなたは自分のしるしとして、またあなた自身の重荷として、その十字架を負うべきであり、理屈を並べて立っていてはならない。こよい、イエスは彼の軽いくびきの中に、あなたが肩をさし入れることを命じておられる。いらだって、それを蹴ったり、見えをはって踏みつけたり失望してその下に倒れたり、恐れて逃げ出したりしてはならない。イエスの真の弟子らしくそれをになえ。イエスは、十字架をになわれた。彼は悲しみの道をあなたに先立って進まれる。彼にまさる案内者が他に望めようか。彼は十字架をになわれた。ではあなたはそれ以上のけだかい重荷を望んでよいのか。十字架の道は安全である。そのいばらの道をたどるのを、あなたは恐れてはならない。愛する友よ、十字架は羽毛でつくられているのではない。それは不従順な者には重く、いらだたしい。しかし、それは鉄の十字架ではない。あなたの恐怖心がそれに鉄の色を塗るが、それは木の十字架であり、になうことが出来るのである。なぜなら悲しみの人イエスがそれをになわれたゆえに。
 あなたの十字架をになえ。さらば聖霊の力によって、あなたはすぐにそれを愛するようになろう。モーセのようにあなたも、キリストのために受けるそしりを、エジプトのすべての宝と交換することを望まないであろう。イエスがそれをになわれたことを覚えよ。かぐわしい香りがその十字架から放たれるであろう。それにはすぐ、冠が続くことを覚えよ。」"

 私たちは福音のために、共に働く者です。良き交わりを通して教会の建設の業を進めて行きましょう。主にある兄姉達の積極的な参加を望みます。

(盛岡聖泉キリスト教会 会員)