同労者

キリスト教—信徒の志す—

ショートコラムねだ
〜やぶにらみ講壇〜

— 女子高生 —

 通勤途上に、Y橋という橋がある。その橋の上で多数の女子高生を見かける。主な学校は、S女学院の生徒と、S女子商校の生徒である。
 彼らの服装に目がいくことがある。彼らは故意にそうしているのであるが、スカートを短くし、ふとももを出してあるく者が多い。しかし、ぱっと見たときの平均的な姿に、前述の2学校に差が認められ、S女子商の生徒にはスカートの丈の短い生徒はほとんどいない。
 うちの教会に、S女学院の先生をしている姉妹がいるが、たまたま彼女と生徒のスカートの丈が話題になった。彼女は、「注意されてもすぐに直せないように、わざとすそを切ってしまうのですよ。」と言っていた。
 彼女たちの近未来像を察するに、さしずめ、底の厚い軍靴に似た靴に、手間の入らない簡易ゲートル(ゲートルということばには説明を要するか?)を肌に直接のりでつけ、上着を短いボレロのようにして、へそを出して歩く、といったところか。
 服装は"にきび"みたいなもの。一生懸命つぶしてみても、また出てくるし、にきびなんて大したことはないのだ。しかし真の病気が陰にあり、それが原因で皮膚に症状がでていることもある。そのときは、対症療法だけ行ってもだめである。病気は内側から治すべし。
 俵万智氏は、ミリオンセラーになった歌集「サラダ記念日」にこのように詠った。
 「万智ちゃんを先生という子らがいて 神奈川県立橋本高校」
新任教諭の初々しい感触が伝わってくるではないか。しかし、数年後に出版した第二の歌集 「かぜのてのひら」ではこう詠った。
 「可能性という語の嘘を知っている 十七歳のめんどうくささ」
俵万智氏が生徒の実態を把握した様子がうかがえる。蛇足であるが、この俵万智氏の指摘する一語は、Y牧師が結婚の時、I綜合伝道団のT牧師から言われたことばであるとか。
 真相を把握することは、よい対応策を採りうる大切な要素である。
 ある日の恒励会(既婚男子の会)においてY牧師がI兄弟にこう勧めた。
「I君、息子が読んでいるマンガをそっと知られぬように自分も読んでおきなさい。」
 私たちは確かに恵みを持っている。しかし、それを彼らに与えるには、もう一つ知恵が必要である。新任教諭は生徒に好かれるかも知れないが、生徒を扱うことは難しい。
 育ち盛りのお子さんを持つお父さん達、子供さんが行きそうなところ、読みそうなもの、やりそうなことを、子供より2、3年ずつ先に自分が見ておきませんか。