同労者

キリスト教—信徒の志す—

聖書講義

— 昨日のサムエル記(その3) —

山本 嘉納

 聞いた話によるとアメリカの軍需産業は、その時代の自国の経済を支えてきたものらしい。ジェット戦闘機は、一機数億から数十億円するそうで、日本はお得意さんである。彼らは、数十年前に戦争した国に基地をおき戦闘機を売って世界平和を維持している。日本は絶対に歯向かわないと思っているのであろうか。調べてみると彼らは自分たちの造った戦闘機と戦うことはちゃんと想定しているようで最新の技術は自分のところに残しておいて分け与えても影響のないものは売って、お金に換えているのである。だから軍縮だの世界平和だの言ってもたどり着くまでに、越えなければならないハードルは限りなくある。なぜ、こんな話から始めたかと言う
と、"サムエル記がなぜ、サムエル記か。"の話をする前準備である。
 普通、本の名前は当然書かれている内容を映し出すものでなければならない。アメリカで説教学を勉強した時、説教のタイトルがそうでなければならないと教わった。それだけではなくそれを見て聞きたくなるようなものでなければならないとも教わった。私が育った教会では、一年の半分以上が「信仰の勝利」と付けられた変わりないタイトルでメッセージが毎週行われていた。
 気が付くと私も同じタイトルで一年間やっている。本のタイトルの話である。別に内容を映し出すだけがタイトルではない。作者名がそのまま本のタイトルになるのが聖書である(勿論例外もある)。しかし、サムエル記Ⅰ、Ⅱを読んでその内容はサムエル自身についてもそうであるがほとんどが彼の死後のお話である。彼は偉大な預言者だったがサムエル記を全部書いたとは考えられない。ではなぜ多くの内容がイスラエルの初代の王、サウルやその次のダビデについて書かれているのだから「サウル、ダビデ王記」とならなかったのだろうか。サウル王は、あまり成績の良くない王だったので名前を省き、差し詰め「ダビデ王記」などという名が本当はぴったりである。この話の結論は後回しにしてサムエルの肩書きに話を進めたいと思う。彼は、何者だったのだろうか。預言者なのか、祭司なのか、(祭司エリの後釜)はたまた士師なのか。その実態は・・・。彼の大切な使命、神にゆだねられた大切な仕事は何だったかを考えると正体がわかる。聖書に何と書かれているだろうか。「そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。『今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。』」(サムエルⅠ 8:4~5) 彼の正体は、聖書によると「裁き司」である。大切なのは王ではないことである。それまでイスラエルには士師として民を束ねる指導者はいたが確かに王ではなかった。続いて書いてある「主はサムエルに仰せられた。『この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。』」(サムエルⅠ 8:7) を読めば、神が王などもってのほかであるかのように言っている事がわかる。神ご自身がイスラエルの王としてこの国を治めていたのである。
 私達の信仰生活は、いかにこの世にあって生きながら神を信じていることをその生活の中に反映できるかが鍵となっている。しかし、多くの場合、それに関わりなく生きている者達と何ら変わらない自らに出会う。祈りもするし教会にも出掛けるし、献金もする。これらは当然の義務のようになっていてそれ自体が私達を生き生きと信仰生活に生かすものではなくなっている。であるから大きな試みに遭遇してもどの部分で神を信じていけばよいのかがわからない。イスラエルの民がこの時、王を求めたのは彼らが大いなる試みの中に遭った時である。よく聞かれる周りの友達がみんな持っているから自分もほしいというようなレベルの話ではない。彼らイスラエルの大敵ペリシテは、鉄を持った文明の進んだ国だったのである。今のアメリカと日本のように武器としての剣(戦闘機)は持っているが青銅と鉄では強度が全然違う。アッと言う間にこちらは刃こぼれしてしまう。それだけなら何とか勇気を振り絞り神の助けを借りて立ち向かう気にもなるが、敵ペリシテには武装した戦車(馬に牽かせた2輪の馬車)も数多くあり軍隊組織も職業軍人を持ち訓練と演習をきちんと行っていた。どう考えても分が悪いのである。イスラエルがサムエル記Ⅰの4章1節に「サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人を迎え撃つために戦いに出て、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。」とありこの戦争で大敗したことがそれに続く2節に「イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の陣地で打たれた。」と書かれている。彼らの対策は、主の契約の箱を陣に持ってくることだった。神が共に戦ってくださり守ってくださると考えたのである。しかし、結果は変わりなくイスラエルは敗走し、おのおの自分たちの天幕に逃げたのである。この後、長老といわれる各部族の代表は集まりこの戦いの大敗の原因を探ったに違いない。あるものは、主に対する罪を指摘するものもあっただろう。またあるものは、ペリシテの文明の高さと組織立った戦いに歯が立たなかったことを述べたものもおったに違いない。指導者エリを失ったイスラエルの最高議会(臨時の集まりに過ぎなかったであろう)は、結論としてイスラエルを束ねて軍事的にペリシテに対抗できるようになるための対策が必要であるとの決定を下した。事実上の裁き司となっていたサムエルも同席していたがおこりそうになる王制には断固反対の立場をとり、なぜ反対かの意見を述べた。神の人の意見は尊重しなくてはならない。先の戦争で契約の箱はペリシテの地に移されてしまった。この上、神の人を退けたらイスラエルを助けてくださる神を完全に失ってしまう。イスラエルがサムエルに従うと不思議なようにペリシテから契約の箱は牛に引かれ返ってくるし、ペリシテが攻めてきても「サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。」(サムエルⅠ 7:10)
 感激の大勝利であるが、信じていればいいのだろうか。現実を考えればイスラエルの民は鉄を持ったペリシテ人と今後も戦っていかなくてはいけない。私達の生活も現実、戦うのは自らであるし、強い敵は手を変え品を変え攻めて来る。この人が祈った時に神の不思議な助けが必ず与えられると信ずる神の人は、自らの為に立ち続けてくれるだろうか。イスラエルは、神が王制を許してくださることを求めた。それほどに戦いは熾烈を極めた。サムエルも本望ではなかったがその準備を着々と進めなければならなかった。信仰を生きぬくことは簡単ではない。まして反映させることは至難の業である。サムエル記は彼が神と共にイスラエルに与えた王制の正しいあり様を記しているのである。彼の後継者達が、イスラエルにふさわしい王制が営まれているかをチェックしている。モーセがイスラエルに律法を与えて建国を成就したようにサムエルは神の命に従ってイスラエル王国を樹立した人である。最初の王、彼はどんな人物だったのだろうか。この続きは次回にまた。

(仙台聖泉キリスト教会牧師)