同労者

キリスト教—信徒の志す—

寄稿

— Deo volente(神の御心ならば) —

鎌田 新

  

震災直後の志津川町

「よく聞きなさい。「きょうかあす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。」(ヤコブ 4:14-15)

3.11.東日本大震災から10年を経た。
あの日、信号機が止まった国道というものを初めて走った。電気がたった一日無いというだけで現代社会は停止状態になるということを実体験。
午後2時46分のサイレンと共に日本中が黙祷。この短い1分間に、あの巨大地震と押し寄せる大津波、そして原子炉のメルトスルーなど、さまざまな光景が脳裏をかすめた。
かつて世界のどの国も経験した事のないような、自然災害と原発との複合的な大惨事を回想する時、誰しもが胸にそこはかとない悲しみを覚えたに違いない。

<主権は何処に?>
それにしても災害の多い国である。昨今は毎年のように台風や水害も続き、大きな地震も各地で頻発。長引くコロナ禍の中、経済的に困窮する人々、若年層や女性の自殺の急増も心配される。
かつての80年代後半のバブル期のように株価ばかり上がっているが、大多数の庶民には何の関わりもない訳で、今こそ米国並みの財政出動をして、国民にどんどんお金を配ればいいのに、財務省と政治家はそれこそ自分たちには関係ないのだろう(皆さん、政治家はよくよく吟味して投票しましょう。国民が主権者なのですから)。

<被災地へ>
大震災直後から、私はミニバンに物資を積んで約1年間、毎月被災地を巡った。当時ホテルは何処も復興業者に貸し切られて満室だったので、片道500キロの道のりを毎回車に寝泊まりしながらのボランティア活動であった。
ある時は農家のご好意で頂いた大量のりんごを満載し、またある時は引っ越しなどでいらなくなった食器や石けんなど日用品を教会の有志から託された。またアメリカのビリー・グラハム財団(キリスト教慈善団体)の協力で、救援物資を多くの被災地の教会や避難所に届けた。

<リンゴの慰め>
一年間で沿岸の殆どの被災地、特に忘れ去られたような場所を訪れたが、いつも一番喜ばれたのはリンゴであった。避難所や仮設住宅、半壊した自宅に残っていた被災者の方々は、過酷な生活を強いられ、大変な苦痛の中に心身共に疲弊していたが、真っ赤なリンゴを手渡すと皆さん、「まさかこんな時にリンゴを食べれるとは!」と笑顔になってくれた。

<心ある支援>
對馬氏という岩木山麓にりんご畑を持っているおじいちゃんが、蔵にあったリンゴをそれこそ何百キロと惜しげもなく、みんな持って行けとばかりに寄贈してくれた。無口で、リンゴ作り一徹の方であったが、数年前に亡くなられ今は天国に宝を積んで、きっと神様に褒められているだろう。このような草の根の方々の温かい支援を思い出すと感謝に耐えない。

<立ち入り制限地域のゲートまで>
福島第一原発から23kmに位置する最も原発に近い教会の牧師さんも、ぎりぎりの地点まで現地を案内してくれたが、今はその方もガンとの闘病中だ。

<まるで原爆の跡>
最も衝撃的だった場所は、南三陸の志津川町というところで、まるで原爆でも落ちたかのように、町全体が数キロ四方に渡って壊滅状態であった。
夕暮れ時に、自衛隊が突貫工事で敷いた、車がやっと一台通れる程の砂利道を進むと、あちらこちらにひっくり返った車が埋まっていて、人っ子一人いない。見渡す限り泥沼と化したゴーストタウンには、強烈な塩の匂いとカラスのガーガー鳴く声が響き渡り、私はただ茫然と立ち尽くすばかりであった。
薄暗がりの中に唯一残っていた大きな病院のような建物は4階までガラスが割れ、破れたカーテンが風に揺れていた。
あんな高さまで泥水が襲い、全てを飲み込んでしまったのか、、。あんな恐ろしい光景を目の当たりにしたのは生まれて初めてであった。昨日まで普通に暮らしていた人々が、突然押し寄せた黒い影に、たちまち引き込まれて行ったのだ。

<聖書的教訓>
私たちは、明日はあれこれやって商売して儲けよう、来年はあそこへ行き、こんな事をしよう、などと計画を立てるが、必ずしもその通りになるとは限らない事を聖書は警告する。明日の事はわからないのに、わかったつもりで暮らしているのが我々人間なのだと。

<想定外>
震災直後から「想定外」という言葉がよく使われた。津波の高さが想定外、原発の非常用電源の喪失が想定外などなど。しかし、本当にそうだろうか?一部の専門家は、以前から警鐘を鳴らしていたのに、政府も電力会社も無視していた事実がその後明らかになった。利潤優先型の経営と責任の所在の曖昧さがもたらした人災的な側面は拭い去れない。

<神と共に歩むべきこと>
東日本大震災の残した教訓は多いと思うが、単に防災上の要件だけではなく、聖書の言うもっと深い次元で、即ち人間の存在そのものの脆さと儚さ、神を畏れない傲慢や欺瞞が露呈した結果として捉える事が必要と思われる。

人は今一度、神の前に謙虚になって、自分の命とは如何なるものであるかを正しく認識し、創造主なる神の守りと導きの中に自らの人生をおいて歩むべき事の大切さを思い起こすべきだろう。<祈>

(夜越山祈りの家キリスト教会牧師)