同労者

キリスト教—信徒の志す—

寄稿

  ~算用子キワさんのこと〜  

鎌田 新


 「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」(イザヤ書 46:4)

 皆様こんにちは。
青森県の平内町という陸奥湾沿いにあります小さな町で牧師をしております鎌田と申します。

本日は、当教会員の算用子(さんようし)キワさん(99歳)のお話しをしたいと思います。

<漁師の処へ嫁ぐ>
この方は、どんな事情があったのかは知りませんが、30代の時に初婚にもかかわらず、故郷からかなり離れた津軽半島の網元のところに後妻に入りました。
そこには母親を亡くした小さな子供たちが6人おりました(後に7人と判明)。
旦那さんは漁師の親方で、漁のない時は、ちゃぶ台に一升瓶を2本立てて、朝から呑んでいたそうです。

<聖書との出会い>
その後キワさんは、大変な苦労を味わい、やがて自分の境遇に深く悩み苦しむようになりました。
しかし、不思議な事に、彼女は神の存在を信じていました。そして、その名も知らない神を求めて長い間探していたと言います。

ある日、街の本屋に行く機会があり、そこで聖書を見つけて買って読んでみると、なんと、そこに書かれていた神は、自分が知らずに探していたのと同じ神様だとわかったのです!

やがて彼女は教会を探し、当時青森市内で駆け出しの牧師であった私の父に出会います。それ以来もう70年近く忠実な神の僕として歩んで来ましたが、10年程前に、アパートを借りて、私のいる近くへ引越し、独り暮らしをしています。

<晩年の暮らし>
昔は、おかず屋さんもやったそうで、今でも自分で料理し、掃除洗濯をし、私が卵を持って行くと美味しい卵焼きになって戻って来たりします。

今、この方は昼も夜も聖書を読み、神に感謝の祈りと賛美を捧げ、皆のために執りなし、穏やかに静かに神に仕える生活をしています。

自分の家族に迷惑がかかるといけないと言って、生活保護を受けず、極わずかな年金の中から10分の1を教会に献げ、身体的にも経済的にも大変ながら、全てを主に委ねて奮闘しています。
しかし、肉体的には日々衰えを覚えつつも、心は満たされ、また人としての自由と尊厳を保ちながら、神と共に晩年の日々を過ごしています。

<徳利と魚の匂いのこもったお札>
このおばあちゃんに関して、私は二つのエピソードを知っています。
数年前に亡くなった私の母は、牧師夫人としての傍ら、フラワーアレンジの講師をしていましたが、ある時、「どんな物でもいいので、皆さんの思い出の器を持参して来て下さい。それにお花を飾ってあげましょう」と言ったところ、このおばあちゃんは、生前自分の旦那さんが愛用していた徳利を持って来たそうです。それには深い意味があった事でしょう。

また、私の父は当時を振り返って、「この方は何十年も欠かさずに献金をして来た人だが、献金箱を開けると、この人のはすぐにわかった。何故なら、そのお札はいつもクシャクシャで、魚の匂いがしたからだ」と話していました。

<主に委ねて>
来年100歳を迎える今も、その忠実さは全く変わっていません。数々の人生の海の嵐を通り過ぎたであろうキワさんの神は、彼女をキリストに出合わせ、ここまで持ち運び、今は静けき港で平安のうちに祈りと賛美の日々を送らせて下さっています。
神の約束の言葉は、その人生の旅路の終わりまで、しっかりと彼女を保ち、導いて下さる事でしょう。
神のお約束の真実を覚えて、御名を讃えます。

(夜越山祈りの家キリスト教会 牧師)