同労者

キリスト教—信徒の志す—

寄稿

科学も哲学も答えられない問い
  ~キリストが提示した三つの選択肢〜  

鎌田 新


 宇宙の年齢は約138億年、私たちの地球は約46億歳であると推定されています。この地球は、時速約1700kmという想像を絶する速度で自転しています。それでも私たちが振り落とされずにいられるのは、地球の重力が、自転による遠心力をはるかに上回る強さで私たちを引き留めているからです。これは丁度、新幹線に乗っていても、窓の外を見ない限り、それほどのスピード感が無いのと似ています。
 さらに、生命を維持する大気圏は、地球の直径と比べればリンゴの皮ほどにも満たない、ごく薄い膜。365日の公転が季節を生み出し、地球磁場が有害な宇宙線から私たちを守っています。太陽からの距離、重力の強さ、大気の組成等々、これら一つでもほんの少しでも狂えば、生命は存在できません。果たして、これらの条件が、全て完璧に整っていたから生命は誕生し進化したとも言えるし、絶対者なる創造者がいたからなのか、実は科学は証明も反証もできないのです。
 自然科学は、この世界が「どのように(HOW)」これほど精妙に機能しているかを驚くべき精度で解き明かしてきました。
日本の山中伸弥教授らが開発したiPS細胞(人工多能性幹細胞)は、まさに科学の偉業です。既存の細胞から無限の可能性を持つ万能細胞を作り出し、再生医療に革命をもたらそうとしています。
 しかし、ここに科学の限界も見えます。人間はiPS細胞のような「既存の細胞を再利用」することはできても、生命の最小単位である「細胞一つを無から創造」することはできません。
 その辺に生えている一本の草さえ、無から作り出すことはできないのです。また自然科学は「どのように」機能するかを究明できますが、「なぜ」生命が存在するのかという問いには答えられないのです。
 この「人生の意味」を巡って、現代の論客であるひろゆき氏(実は私の結構好きな)は彼の著者の中で、「人生そのものに意味はない、しかし幸せを感じることには意味がある」と説きます。この主張は、多くの現代人に共感を呼ぶ考え方かもしれません。しかし、もしビッグバンから138億年かけた偶然の結果が私たちだとするなら、その「幸せに感じる意味」さえも、究極的には脳内の化学反応という「無意味」な現象に還元されてしまう矛盾をはらんでいます。科学はこの価値の矛盾を解決できず、哲学も明確な答えを出せずにいます。ビッグバンの前は何だったかも切りが無い推論でしょう。
 さて、この行き詰まりに対して、キリストは世界の真理について、曖昧さを許さない究極の三者択一を提示しました。
「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはできない。」(ヨハネ14:6)
 この宣言について、英国の文学者、神学者で映画にもなった「ナルニア国物語」の作者C.S.ルイスは、私たちに可能な態度は三つしかないと指摘しました。

  1. キリストは「嘘つき」だった(人類史上最大の詐欺師)
  2. キリストは「狂人」だった(道端の石に話しかけるような妄想癖を持つ者)
  3. キリストは「主」である(まことの神であり、その言葉は絶対的な真理)

 この厳しい論理的な三者択一から逃れることはできません。科学はこの決断を私たちに代わって下すことはできず、哲学もこの選択から目を背けさせることはできません。この究極的な人間理性への問いかけは、結局のところ、あなた自身がこの言葉をどう判定するのかにだけかかっています。
 聖書は、もっと地に足のついた人間らしい解決を啓示します。それはキリストが十字架で私たちの罪の贖いを成し遂げ、三日目に復活して死の力を打ち破ったという「歴史的な宣言」です(第一コリント15:3-4)。これが史実であるならば、このキリストの言葉へのあなたの反応と決断は、単なる人生観の違いではなく、永遠の帰結に関わる決定的な重要性を持つことになるからです。
 聖書は「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのである。」(ヘブル11:3)と説きます。
46億年かけて準備されたこの地球という舞台装置の上で、あなたの内に刻まれた良心、美しいものへの感動と涙、そして「なぜ?」と問い続ける心。これらはすべて、神の存在なくしては説明のつかない、あなたが単なる「偶然の産物」ではなく、意味と目的を持って創造された「尊厳ある存在」であることの証しではないでしょうか。

ひろゆき氏の説く「人生に意味はない」という世界観を受け入れて人生を楽しむ道も確かにあります。しかし、キリストはそれとは全く次元の異なる、あなたの存在そのものに永遠の意味と目的を与える「真理」であることを宣言しておられます。
それはソクラテス、アリストテレス以来の西洋哲学にも、東洋の実践的思想や宗教にも無い、下から(人間の知恵)ではなく、上から(天からの啓示・神のパン*)来た方の言葉だからではないでしょうか。
*「神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」(ヨハネ6:33)

 今、この投稿を読まれたあなたが、一切の先入観を取り払い、キリストのこの言葉と真摯に向き合い、「その通りです。わたしはあなたを主と信じます」と、信じるという、科学も哲学をも超える決断で、神に応答されることを心からお祈りします。

(夜越山祈りの家キリスト教会 牧師)