聖書研究
— 救いについて(58) —
野澤 睦雄
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」(申命記 3:4-8)
4.救ってくださる神
「神はただひとりである。」これを「神の唯一性」と言います。
「神はお一人です。」ということには、はてな、と考えさせられることがいくつかあります。 まず、 以前解説したことですが、神は「父」、「子」、「聖霊」の神であり、それぞれ「人格」をお持ちですから、「三人のお方」になってしまいます。このことに関しては、神はご自分で「神はひとりである」と宣言しておられますから、「父」、「子」、「聖霊」を「人格」と言わないで「位格」ということにし、三位の神がおひとりであると、理解してこの問題は決着しました。それを「三位一体(さんみいったい)」と表現します。
神はご自身で「われわれ」と言われ、父、子、聖霊が独立のお方であることを示しています。「神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」」(創世記 1:26)聖書学者は、ヘブル語の「一」が複合の一を示すのだと解説しています。
イエス・キリスト、あるいは聖霊が信者である私たちひとりひとりの内に住んでいてくださる事は信者の数ほどに聖霊がおられることを意味してしまいます。
「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」(コロサイ 1:27)
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(コリントⅠ 6:19)
同じ聖霊が同時に多くの信者の内に住まわれると考えなければなりません。
神は世界のどこにでも「遍在の神」としておられることも数の概念と一致しません。
数えられるのは物質の世界に属する、もの、事柄に属し、霊は数の対象にならないとも言われますが、ガダラの人に取りついていた悪霊は、レギオン<多くの数の霊>だと自分で言っています。天使も名前を持ち、一人の霊であることを示しています。
「神はおひとりです。」をそのまま信じましょう。