同労者

キリスト教—信徒の志す—

読者の広場 <お便り>

— あしゅらむ会予稿から —

十文字 隆男

あしゅらむ会 2008年3月15日(土)
製作日 2008年3月 8日(土)
聖書の箇所:コロサイ 4章1〜18節

 この章は、2つに大きく分解されるべきもので、
(1) 1〜6節『祈りと日常生活』
(2) 7〜18節『キリスト者のあいさつ』
です。コロサイ人への手紙全体をみますならば、1:9〜12は赤枠で囲むべき祈りです。私の聖書には、『祈りA CD—3』と記しています。よくこの祈りを天のお父から、祈らさせられるからです。「神のみこころに関する真の知識に満たされ」(1:9)たいとき、「神を知る知識を増し加えられ」(1:10)たいとき、「聖徒の相続分にあずかる資格」(12)を頂いている確信がほしいとき、この祈りをさせられるのです。
 同じ章の24節も、赤線をひくべき聖句です。「キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」自分が導かれている教会の兄弟姉妹や「蒔く人」(牧師先生ご夫妻)の為に、お祈りしたり、TELしたり、おハガキを書いたり、そういうことは、みな、『キリストさまのお苦しみの欠けたところを満たすものである』とよくよく知らされているものは、なんと幸いなことでしょう。
 また2章3節は、何度も何度も聖書日課で知らされるものです。『このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。』とあります。
 私は学生時代、ニーチェの全集やキルケゴールの哲学書、ゲーテ全集、ポーボワール(フランスの詩人学者)全集などを切りがないほどもっておりましても、激しく飢え乾いておりました。でも、この『一書』の人、キリストにゆだねていけば、哲学書や文芸評論なども『ちり・あくた』にすぎないものであることを、この節から教えられました。今も変わらず教えられております。今 後も一点の曇りもなく、教えていただきたいと願っています。
(1)『祈りと日常生活』4章1〜9節
 2節の「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」というこの「サファイヤ」(黙示 21:19)のようなおすすめは、エペソ6:18のおすすめと、並行して読まれるべきものです。
 メッセージをなさる『蒔く人・すべての牧師先生ご夫妻』が、メッセージをなさる時、この3、4節のお祈りをよくこの箇所を示されまして、お祈りされることがしばしばあります。というより、毎日この祈りをさせられています。『なお、天のお父さま。あなたが教会の門を開き続けて下さい。難病や多忙、失望(小さな病でも)という「牢獄」に入れられていても、また解放されていても、キ リストの奥義を当然語るべき語り方で、はっきり語らせてあげてください。私にも出ていって語るせてください。』と祈る者でありたいと思います。6節「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」とあります。『あなたはどういう理由で聖書を読んでいるのですか?』と入院中、たづねられたときがありました。その時『一瞬に祈った祈り』がこの祈りです。『どうか、私のことばが、いつも親切で、塩味のきいたものとなるよう導いてください。』このみことばは、生涯私をつくり変えていってくださっているお祈りです。『聖書を読みながらイエスさまとお話をしているのです。』ということばでした。その友、患者さんは『ああ、よく分かりました。』とおっしゃってくださり、こちらの方が驚かされてしまいました。『イエスさまが私の中にお働きになられておられる』(コロサイ 1:29)体験をいただきました。
(2)『キリスト者のあいさつ』7〜18節
 日本聖泉連合発行紙に『聖泉』がありますが、その巻頭言で、東京ミレニアムチャーチの蒔く人、「五つのなめらかな石」(サムエル記第一 17:40)を持つ者(牧師先生)が次のように問いかけておられます。『ペテロは、神の幻を示され、四十キロも離れているのに、コルネリオの家を訪れ、伝道しました。異邦人伝道はここから始まりました。「ひとりの人」ペテロが従順でなかったら、世界宣教の歴史はどのように塗り替えるられていったことでしょう?』というようなことが書いてありました。その記事のタイトルが「ひとりの人」でした。読ませて頂いてとても励まされました。 この10〜18節の中に登場している人たちは、パウロにとっては、一つの群れではなく『ひとりひとり』の『大切な人』でした。アリスタルコ(10)はエペソで騒動が起こったとき、パウロと一緒にいました。(使徒 19:29)エパフラス(コロサイ4:12)は「忠実な、キリストの仕え人」(1:7)であり、「いつも祈りに励んでおりました。」(4:12)「愛する医者ルカ」(4:14)はパウロさんを苦しめたでありましょうマラリヤかてんかんか、眼の病気か・・そういうことに注意を怠らなかったことでしょう。私は、この7〜18節を『いのちの書への登証目録』とよんでいます。この目録は新約聖書だけをみましても、(1)マタイ1:1〜16「アブラハムの子孫」、(2)ルカ3:23〜38「このヨセフはヘリの子・・」、(3)ローマ16:1〜15〜23「ケンクレアにある教会の執事で、私たちの姉妹フィベを・・」、(4)第二コリント 16:12〜20「兄弟アポロのことですが・・」、(5)コロサイ5:7〜18「同労の・・テキコが・・」(6)ピレモン23〜24「囚人となっているエパフラスが・・」(6)ヘブル11:1〜40「アベルはカインよりも・・」と、『ひとりひとり』の『いのちの書への登証目録』は計7巻ですが、8巻目にすでに『私の名が書かれてある』(ルカ10:20)ことを喜んでいます。

(東京ミレニアムチャーチ 会員)

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